今、私は疲れ果てていてケロッグコーフレークが必要な状態です。


関東在住で金曜の19時から「ドラえもん」を視聴していた方には、お馴染みのCMだと思います。

お腹が空いて力が出ないから、トニーに声掛けている時の彼の人生の基本的立場は、I'm not OK.You're OK.の状態です。

コーンフレーク食べて元気が出たなら、少なくともI'm OK.の状態ですよね。


なんで、こんな事を書き始めたかと言うと、少しお腹が空いてるからCMを思い出して、ケロッグコーンフレークを食べたい気がしてるけど、食べたとしても元気は出ないだろうなと考えていた。



コーンフレーク食べても「トニー、力が出ないよ」って思った時は、きっとI'm not OK.You're not OK.(以下、簡易的にNo-Noと表記します。)になるんだろうなと考えたら。

昨日、古今和歌集について考えてた時に思い出した一つの和歌が思い浮んだからです。



「万葉集」所収の山上憶良が詠んだ「世の中を 憂しとやさしと 思えども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」です。

「貧窮問答歌」と並んで、憶良のNo-Noが現れてると思ってます。

この二作品以外にも、世の中に対してどうすることもできない感覚を詠んでいる憶良は絶望している想像型だと思われます。

当時の貧しい農民の生活を描いていますが、信念型なら問題提起したなら自分の考えがセットで描かれるでしょうが、そんな描写は無いです。


「存在するな」の禁止令メッセージを発する親の言動に「あなたがいたから頑張って来れた」と言う発言があります。

子どもによっては、自分がいたから苦労させたと思い、自分は存在しない方が良かったと禁止令決断する可能性があるそうなんです。


憶良には、「術もなく 苦しくあれば 出で走り 去なと思へど 児らに障りりぬ」と言う作品もあります。

まさに、「存在するな」の禁止令メッセージですね。

「子どもを見てると心が燃える」とも詠んでるのですが、親がプラスで発言しても子どもの受け取り方によっては禁止令決断につながってしまうのは切ないです。


No-Noでは、辛い。

ドライバーまたは対処行動を取るとOK-Noの立場に。

OK-Noで、頑張ったけどストレスが溜まったりするとNo-NoまたはNo-OKに。

ミニ脚本の理論に繋がる心の動きは、遥か昔からも観測可能なのが興味深いです。



自己肯定感が低かった学生時代、基本的立場はミニ脚本の動きに影響は受けていても大体I'm not OK.だったので「〜鳥にしあらねば」や、若山牧水の「海底に 眼のなき魚の 棲むといふ 眼の無き魚の 恋しかりけり」とか、フランツ・カフカの「天井桟敷にて」に、ボードレール

の「物好きな男の夢」または相川七瀬の「鳥になれたら」などで、どうしようもないやるせなさや虚無感を癒していたのを思い出します。



読んでいる本や、好む映画や漫画、聴いている音楽にも自分の内面が反映されている。

学生時代から、友人関係を作る時にはその人が好む映画のエンディングが悲劇的かハッピーエンドかとか、好きな曲の傾向からその人の人となりを判断してました。


心理学を学んで、理論的背景を理解するとまた深まるものがあるなぁと思います。



こんな感覚の私の世界を一変させる「ボボボーボ・ボーボボ」との出会いについては、またいつか。




クリープハイプの「憂、燦々」を聴きながら