インナーチェンジングセラピーの4つのメソッドの1つに交流分析があります。
そのTA(交流分析)では、人間の心を縦に並んだ3つの丸で表現します。
上の丸から
P(Parent)
A(Adult)
C(Child)
と名前がついています。
ざっくり言うと。
Pは、幼少期に周りの環境から学んだ「こうあるべき」
Aは、今ここを冷静に判断する。
Cは、感情や欲求、シチュエーションでどう反応するかのパターン。
人間の心の構造を表してるので、PACの3つの丸を自我状態の構造図と言います。
信念型の映画には、このPが満載です。
「博士の愛した数式」には、この信念型のこうあるべき=Pが満載です。
数学教師が語り出す中に、数学のキーワードが出てきてそれがエピソードともに関連づけられていく。
外側から観察可能な適応タイプの特徴に、ドライバーと言うものがあります。(それ以外の意味については、また後日。)
吉岡秀隆さんのドライバーと、話の組み立て方のタイプが違うなと思いながら、信念型の話し方を聞き続ける。
見ながら、何か心がザワザワする。
僕の中の気持ちや欲求の部分(C)が反応している。
浅丘ルリ子さん演じる未亡人(博士の兄嫁)が信念型で、深津絵里さん演じる主人公(感情型の家政婦)に仕事上の取り決めを確認するシーンで、自分の記憶の中の母(感情型)に対する父の姉(信念型)の態度と、それに怯える自分の姿が思い出される。
信念ポイント
・家政婦に対して、未亡人がその意図をお金と思うシーン。
感情型と信念型のミスコミュニケーションが起きます。
感情型の気持ちを理解できずに信念型が地雷を踏みに行きます。
信念型には、気持ちが行動の理由になると言う感覚がないので、金銭と勘違いするのです。
気持ちをないがしろにされて、感情型には強いストレスが加えられます。
僕の母も、父の姉に「どうせ財産目当てでしょ?」と言われた事を、何十年も経った今も
思い出しては怒っています。
・家政婦が発言を息子に謝るワード
「人として間違っていた」信念型は姿勢が大事で、心の中のこうあるべきが外に現れたのがその人の言動だと考えます。
言葉の表面よりも、言葉の一貫性に目を向けます。
適応的な信念型は、誤りを認めて訂正する勇気を持っています。
(信念型のこうあるべきが詰まった論語に「過ちては改むるにはばかることなかれ」とあります。あるべき信念型の生き方ですね。)
・原作には無い映画オリジナルらしい博士と未亡人の関係。
信念型は理由が大事なので、脚本を書いた小泉堯史監督(信念型監督の1人黒澤明監督の黒澤組出身)は、未亡人と博士の間に何らかの感情が通い合ってないと、未亡人が夫の弟の博士をこんなに支え続けないと考えたんだろうなと推測します。
(例えば、信念型を代表する監督の1人ヒッチコックの「サイコ」や「マーニー」でも、長々と理由について述べられてます。)
信念型は理由が大事、大事な事なので繰り返します。
信念型から見た、わきまえた感情型ポイント
・至誠天に通ずで、枝折戸が開いたままになるシーン。感情型の気持ちが通じた瞬間でしたね。気持ちに裏の意図が無いことを信念型が理解した結果が表された印象的なシーンでした。
映画として、決して心から楽しめたとは言えない「博士の愛した数式」でしたが、最後のシーンで胸に押し寄せてきた感覚は。
最高の信念型映画と考える「日の名残り」のラストシーンと同じ感覚でした。
原作未読なので、小川洋子さんと脚本の差異が見えないのが痛いですが、監督脚本が信念型と想像型で描いてる世界と感じました。
信念型の持つ鋭さを、想像型でやんわりと包むから優しい雰囲気になる。
想像型が持つ心の内面の奥行きが、信念型の限定的な考えからくる描き方で消されてしまっているから、淡々が強化されている。
痛しかゆしとか隔靴掻痒とか、何とも言えないもどかしさが残る作品。
モヤモヤが残って落ち着かないから、散歩にでも行こうと思ったけど時間が時間なので今日はやめて眠りにつきます。
以上、サカナクションの「アルクアラウンド」を聴きながら