しまった、気づいたら日付が変わってしまった…
こんばんは、引き続き鬼平犯科帳をあーだこーだして行きます。
僕と鬼平との運命的な出会いは、父のお盆休みに会社の保養所に行った際に、夕食の後で新聞のテレビ欄をチェックしてこれを見たいと言ったのが始まりです。
鬼って書いてあるし、良い顔をしない親をなんとか説き伏せてチラッとだけ見てみて駄目なら変えてと言う事で観たんです。
信念型を持っていた両親は結局最後まで見続けて、家にテレビが再導入された時は、木曜日は鬼平犯科帳の日になりました。
鬼平こと長谷川平蔵が理想的な信念型としてのあるべき姿なら、出てくる敵役の盗賊たちはと言うと、2つのパターンがあります。
1つ目は、鬼平に対して盗賊たちの中にも信念を持った大盗賊が描かれています。
盗人の三箇条
一、殺さず
二、犯さず
三、貧しき者から盗まず
信念を持って盗み(おつとめ)をする者。
2つ目は、三箇条を守らない畜生働きをする外道。
信念を持っているので、他の人にも信念があると考えている信念型特有の考え方だと思います。
正しきあり方だけが理想の考えでは無く、悪には悪の信念があると考えて描かれている盗賊たちは盗人とは言え人間的魅力に溢れています。
それに対して、外道な盗賊たちは信念型から見た合わないタイプの、不適応が描かれています。
信念や考えがなく欲望に身を任せたり、盗人同士の信義にもとる姿。
信念型の理解の範疇を超えている存在で、作中で長谷川平蔵を鬼平たらしめている存在です。
今日は、頭が働いてないので7日放送の「むかしの男」の信念ポイントを紹介してお茶をにごします。
終盤に、過去に平蔵の妻・久栄をもてあそんで捨てた男を押し込めている土蔵でのむかしの男と平蔵のやり取りと入口で様子を伺う久栄。
話が終わって出てきた平蔵と久栄の息子の辰蔵が出て来るまでの手の動き。
久栄を助けた辰蔵と久栄との闇稽古のやり取り。
怒濤の描写に、信念としてのドライバー「完全であれ=強くあれ」由来の、姿勢をくすぐられて満足感のうちにエンディングの「インスピレーション」と言う最高の流れ。
第1シーズンの中でも、白眉の出来だと思います。
次回からは、適応タイプと映画について書いていきたいと考えてます。
BUCK-TICK「幻想の花」を聴きながら