僕の母は、認知症でホームに入っています。
行ける時には、月に1回は面会に行って。
間が空いても、1月半に1回は面会に行くようにしています。
家族が認知症になった時に、どう対応したら良いのかなどは。
厚生労働省のポータルサイト「こころの耳」
https://kokoro.mhlw.go.jp/glossaries/word-1667/
↑このページのリンク先の
「こころの情報サイト」
https://kokoro.ncnp.go.jp/disease.php?@uid=WwE9LLpYbVZTIDMI
などをご覧いただけたらと思います。
その上で、家族が認知症になった時の自身のストレスについては、気にされない方もいるかもしれません。
そこで、自分の経験を元に、認知症患者の家族の立場から、どんなストレスがかかるかについて色々書いてみようと思いました。
家族が認知症になる際の最初のストレスは、思い通りにいかない事が起きること。
・予定を忘れる
出掛ける予定、旅行の準備、役所の手続き
・お願いしたことを忘れる
お弁当の用意、洗濯して欲しいもの、「あれ取って」
こういう事が、ちょこちょこ増えてきます。
この段階では、多くの人が認知症とも思わずに、忙しいからとか疲れているからと見過ごしがちです。
なので、自分としてはしてくれないこと、忘れていることに対しての日常の中での小さなストレスを感じる程度でした。
僕の場合の次のストレスは、母が認知症だと認めることでした。
年相応に忘れているだけと思いたがっているけど、出先で道に迷ったり、何をしていたのかを忘れ始めます。
うっかりしているとか、年相応の物忘れとの決定的な違いは。
事柄を覚えているかどうかと言われています。
例えば、違う部屋に入って「何を取りに行ったんだっけ?」の場合は、何かを取りに行った行為を覚えていられています。
認知症の患者の方は、何かを取りに行った行為それ自体を忘れてしまっているので、「なんでここに来たたんだっけ?」のような事を言い始めます。
↑この段階で、お薬を飲むと進行をゆっくりにしていく事ができるようなのですが、僕たちはこのタイミングを逃してしまいました。
家族や自分が認知症だと、困ることはいっぱいあります。
だから、違うと思いたいし事実を確認することが怖くて後回しになると、本人も自分たちも後悔することにつながると経験しました。
認知症かと思ったけど、違った。
そう言った安心をするためにも、実際に検査を受けることは大事だったりします。
今後の生き方を、より良くしていくためにも早めの検査はお勧めします。
家族が認知症だと認めた段階を経て、次のストレスは本人とのやり取りです。
・今何時だっけ?
・〇〇はどうするの?
・これは、なんだっけ?
日常の中で、何度も何度も同じ質問が繰り返される時期が来ます。
最初のうちは、丁寧に応えられていても、1時間に何回が数分に1回になってくると、我慢の限界が出てきます。
この段階の内に、メンタルケアをしておかないと、イライラを相手にぶつけてしまい、生活の質が酷く低下していきます。
確認地獄と同時期くらいに始まるのが、もの盗られ妄想などです。
母の場合は、父に対して「財布からお金を取られた」「お金を返してもらっていない」などで現れました。
ここからは、本人と対象の人物の関係は悪化していくので、確認地獄のストレスにプラスして仲裁に入るストレスが加わります。
対象の人物は、していない事柄に対して責められるし、弁解の言葉は伝わらないので、ついつい口喧嘩などに発展しやすくなります。
家庭の中に、嵐が吹き荒れます。
ここまでは、福祉の力も借りながら家族のケアで乗り切っていましたが、もう1段階あがると家庭内では乗り切れなくなります。
それが、徘徊です。
気がつくと、家からいなくなってしまっています。
ここまで症状が進んでしまうと、家族だけでの対応は難しくなってしまいます。
捜索するために、関係機関や隣近所、友人知人など色々な人に依頼の必要が出てくるので、ストレスは跳ね上がります。
それに加えて、本人の安否の心配や、「いつまたいなくなるんじゃないか」と言う不安が終始付きまといます。
朝起きたら、母の寝室に行って母がいるかいないかを確かめる日々が始まりました。
外に出る身支度を始めていて、それを留められたとしても、少ししてまた部屋に行くと身支度をし始めていると言うこともありました。
家族が常に気を配り必要が出てくるので、在宅の介護からホームへの入居に切り替える準備をしていく最終ラインにもなります。
(症状が進みすぎると、ホームなどによっては入居を断られたりと、選択肢が狭まっていきます。)
次にくるストレスは、これまでのストレスと比べ物にならないストレス、入居当日別れのストレスです。
ホームに入る安心、今までの確認地獄やもの盗られ妄想のストレスから解放される安心感。
それを上回る位の、親を見捨てるストレスに直面します。
頭では、母にとって良い環境になるとは理解しています。
薬も毎日決まった時間に飲ませてもらえて、お風呂にも入れる、プロがケアしてくれて、徘徊しないような体制で暮らせる。
とはいえ、気持ちは別物でした。
ここを乗り切って、母をホームに送って行けたのは、こころの仕組みを学んでいたことと、定期的にカウンセリングで自分のケア(ストレスケアなど)をしていたお陰だと実感しています。
冷静に判断する必要がある時に、冷静な判断を妨げてしまうような、こころの動きがあります。
そんなこころの動きに対処していけたので、自分も家族もより良い方向に進んでいける。
母がホームに入居できて、それまで同居してストレスをいっぱいだった母も父も自分も安心できる環境になった時に、メンタルケアの力を実感しました。
で、母がホームに入って時が過ぎて、今またストレスの段階が上がりました。
自分1人でトイレをできなくなっていたんです。
面会に行って2時間過ごした中で、母はトイレに1時間45分座っていました。
自分の便意が解らなくなっていて、便意が解消しているのかも認識できていなかったので、途中でもトイレから出てくる。
①ベッドや椅子に腰掛けようとお腹に力が加わる。
②便意を感じてトイレに行く。
これをひたすら繰り返している状況をでした。
ホームの近くに住む姉は、3ヶ月前にはそうなっていたと言ってはいたんですが、その後に顔を出した時には1人でトイレに行けていたので、大げさと思っていました。
ただ、良い時と良くない時の波があるので、たまたま姉は良くない時に、僕は良い時に顔を出していただけなんだなと、今は思います。
次の段階、1人で起き上がれなくなり寝たきりになるのが、いつ来るのかは解らないです。
そうなったら、母の終わりの時が見えてくるのかなと考えて、自分で自分を心地よくない気分にさせている感じはあります。
そんなこんなな自分の状況報告が、少しでも誰かのお役に立てたなら幸いです。
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