先日、父方の叔母が他界した。



危篤と連絡が来ていたので急遽地元に帰って顔を見に行ったら

すっかり小さくなりおばあちゃんになった叔母が横になって寝ていた



わたしに気づいた叔母は
「みやちゃん、あんた〜変わらないねぇ」と一言。

「いやいや相当変わったよ」
と、いう言葉を飲み込む



叔母に会ったのはいつだったかな?
確かわたしが20代前半の荒れまくってるあの頃だったような気がする


会いに行った4日後にお空に行ったと従兄弟からの電話で聞いたけど

いとこと話したのも確かわたしが30歳の時だったから
あれからもう14年経っていて

年の離れた従兄弟は
「来年定年するんだよ」と優しく言った


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父方のいとこも
母方のいとこも

それはそれは優秀な人ばかりで


小さい時祖母から「あんたも頑張りなさい」と会う度に言われた


その言葉に
「絶対、頑張らない」
頑なにわたしはどんどん天邪鬼になっていたよなぁ…



いとこは公務員ばかりで
消防士
市役所
刑事とか…

そのお子様達も優秀で
確か社保庁とかにお勤めのはず


それがさらに「あの頃」のわたしをどんどん頑張らせない人間にさせていったけど

今思えばなんてアホだったんだろう。


「させられた」って意識が何故あんなに強かったのか



小さくなった叔母の背中を見つつ考えていた




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従兄弟が優秀で家族仲良く
その後の人生もなんら困ることなく過ごしているように…
わたしはずっと「思い込んでいた」

そんな自分がやっぱり恥ずかしくて

なんとなくあの日
叔母に謝りに行ってるような気がしてならない



帰りの車でたくさん昔のことを思い出して

パンドラの箱をパコーンと一人でまた開けては


穴を掘って一生出てきたくないくらい情けない気持ちになり自爆




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「今ね、やっと社会にお役に立てるよう、頑張れるようになったよ」
と、昔憧れて羨望の眼差しを送る反面

羨ましくて
その光を歪ませて従兄弟達を見ていたわたしの言葉を

「お父さんから随分頑張ってるって聞いたよ」とまたもや優しく従兄弟に言われると



ほんとに胸が苦しくなった




パンドラの箱の破壊力は凄まじい…




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叔母さんにとても良い機会をいただいた

この日がなかったらわたしはまた過去を
清算できなかったと思う



わたしはあの時から本当に変わったんだな

それがはっきりとわかったから


もう人と比べない人生を送っている



比べることが良いとか悪いとかじゃなくて


ただ「しない」



自分が「決める人生」を
送れるようになったのも


わたしの親、親族含め
そうした環境があったからこそだと。




あの日
叔母に会いに行けて
本当に良かった




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叔母さんに聞いたことがあった



「なんでおじさんと結婚したの?」


叔母さんは少しお茶目な顔をしてこう言ったよね



「かっこよかったんだよね〜バイクに乗っててね(笑)」





今でもあのお茶目な顔を鮮明に覚えてる




叔母さん、ありがとう



天国でおじさんに会えたらいいね。