※△には悪口が入ります
例えば
バカって言ってたよとか、
アホって言ってたよとか、
死ねって言ってたよとか→過激
小学生のとき、わたしの目の前で繰り広げられるその会話が
わたしは虫酸が走るくらい
大嫌いでした。
その言っている本人が何故か勝ち誇ったかのように、
目の前にいる友達に、目の前にいない友達が過去に言っていただろう悪口を言いつける。
その様が、死ぬほど嫌いでした。
大人になってもなぜかそれはなくなりません。
あらゆる場面で起こります。
大人とか子供とか。
学校とか職場とか。
本当に関係なく。
言っている本人を見ていても、
どう考えても言われている人のために…
と思って言ってるようには見えません。
「せっかく教えてあげたんだから、わたしに感謝してよね」
顔の表情から読み取れるその人の本音はこんな感じなのかなぁ…。
そしてその発言により、スッキリしているのは言った本人だけで。
言われた本人と、まわりにいる人はただただ気まずさと、心地悪さを感じる…
ツラツラとそう話すその姿は、その方本来の美しさも、人間的魅力も全て打ち消してしまっています。
でも、本人は気づいていないのですね…

今はもう、わたしの周りにはそんなことを言う人は1人もいなくなりました。
それはわたしが、
誰とつながりたいか
どんな人とご縁を持ちたいのか
はっきりと自分自信で決めたからだと感じています。
付き合う人を選んだのではなく、
付き合う人を引き寄せたから。
自分で決めたから。

わたしは「あったかい人」とご縁を持ちたいです。
「ハートのある人」というと抽象的ですが、
一緒にいてもいなくても、
その方を感じる時ふんわりとあったかい気持ちで満たされる人と繋がっていきたいです。
姿、形なんてどうでもいいんです。あ、清潔感は必要ですが(笑)
でもそれにはまず大切なことがあります。
それは自分自身がその「あったかい人」の部分を持っているか、ということです。
自分のことを棚に上げて
「こんな人と付き合いたい」と高望みなこと願っても、それは到底無理なこと。
付き合いたいと思う相手に、
自分も同じように魅力を感じてもらうこと。
引き寄せるにはその寄せる部分を自分が少なからず持っていなければ叶わないから。
自分自身が向上し続けること。
そこを怠っては自分が求める人間関係は寄せられません。

同業者でも、
人を蹴落として上に上がりたい人は、同じように蹴落として上がりたい人達に囲まれるでしょう。
一生やってろ!と思ってます。
でも切磋琢磨して、お互いの意識を高めていけるように磨き合える人は同じ意識の同志を持つことができるはずです。
そしてその意識の高さが上がれば上がるほどまわりにいる人達が変わっていきます。
わたしは今、それを肌で感じています。
そして「良い」とか「悪い」のジャッジではなく、
様々な事柄を「心地よさ」で判断出来るようになりました。
良い、悪い、の判断は、
とても苦しかったのです。
でも自分にとって「心地よい」か「心地よくないか」は、選択が楽チン♪
そこを意識しだしてから「生きること」がとても楽になったんです。
ワクワク楽しくなったのです♪

人にどう思われようと、わたしはこういう人がいい!と、考えられるようになるには、
まず自分自身が何が好きで、何が嫌いなのか。
どんなことが心地よく感じ、どんなことが心地よくないのか。
知ることが必要です。
自分と対話すること。
一番怠ってはいけないこと。
この記事が今必要な人に…
読んでもらえますように。
少しでも何かの力になれますように。
心を込めて!!!!!
たかさかみや
