ふと、「そういやー昔、こんなアニメがあったよね」と思い出し、無性に見たくなることがある。

今回の『たまごっち』のアニメもそう。

んで、早速某動画サイトを開いて検索してみたら・・・ありましたありました^^。

TVで発見!!たまごっち 第1話「グシシシおやじっち」

TVで発見!!たまごっち 第5話「フリフリぎんじろっち」

これねー実は私、本放送では一回分だけしか見てなかったんだよね。

某テレビマガジンでこのアニメの存在を知った時からずーっとずっと見たくて見たくてしょうがなかった(当時の私はたまごっち大好き人間)。

でもそれは中々叶わなかった;;。

今考えてみると、あの時間(フジテレビ系 月曜日19:56枠)にたまごっちが見れなかった訳って、単純に裏番組が『名探偵コナン』で当時の私はそっちの方を(裏でたまごっちをやっているなんてことは露知らず)見てただけなんだよね。

そんなもんで、ずっと「あのアニメが見たい・・・」と溜息ばかりをついていた訳(バカ)。

あのアニメは幻だったのでは・・・と諦めかけていたその日。たまたまコナンが休みで仕方なくさくらんぼテレビ(山形)を見ていたら・・・ん?たまごっち!?

「たまごっちだーっ!」

まさにこんな感じ^^;。

ハッピーセット CM スポンジ・ボブ 「ハチャメチャびっくり」篇

んで、しばしの間狂喜乱舞していたら、そのアニメは“アっという間”に終わってしまったorz。

しかもその回はまさかの最終回だったという;;。

でも、このたった一回分だけしか見れなかったアニメ『たまごっち』は、まだほんの小坊だった頃の私に並々ならぬインパクトを与えてくれたりしました(笑)。

たった1分15秒。されど1分15秒。

たまごっちキャラは抱きしめてあげたくなるほどカワイイのに、こんな短い時間の中でじわりと感じる“狂気”にも似た感触はいったい何なのだという(この「狂気」については第5話「フリフリぎんじろっち」を見て、あの頃懐いた私の感想が間違いではなかったと確信しました)。

恐らく私のアニメ人生の中で、このアニメ作っている人は何かがおかしい!(今では褒め言葉)と感じた最初の作品だったかも^^;。

・・・でもまぁ基本ほのぼのしてて可愛いアニメ作品なので、忘れられちゃう前に早めに全話DVD化をお願いしますよっ、バンダイさん!
この前久し振りに観た『忍たま乱太郎』がそんな感じのお話でした(笑)。

恥ずかしがりやの先生(名前失念^^;。後で調べよう。)が植えたらっきょの種の芽が何故か中々出てこない。

これはどーしたもんかと大木先生は食堂のおばちゃんに相談するが、それを恥ずかしがりやの先生は偶然に聞いてしまって大ショック澈。

よよよ…と学園内を当ても無く走っていると、偶然そこを歩いていたしんべェにばったり。

訳を話すとしんべェは、少し前に貿易商人である父から聞いた話を悩める子羊である先生に向って喋り始めました…。

その内容が今回の表題「自信満々な自信の無い人」の話なんですね。

恥ずかしがりやでとっても控え目な人は、実は本当に自分に自信を持っている人で、何事にも完璧主義なのでその腕もたしか(アニメ本編は二人の焼き物職人が造った壺をしんべェパパさんがどちらか一つを選ぶ場面でした)。

逆に自分に自信が無い人は、自信が無いから自分を他人より大きく見せようとして過剰に自信満々なふりをする(そういう人は腕もそれなり)。

勿論、しんべェパパさんが選んだのは前者の方でした。

なんかその話、良く分かるなぁ~(後者経験者の感想)。

なーんも努力してないと本当の緊張感って、生まれてこないんだよねーっ(あれ目から汗が…)。

そーいう訳で、その先生は「芸術家タイプの忍者」であることが分かりました。

恥ずかしがりやを克服するためにはまず誰かに負けて自信を無くすことが一番良い治し方なのではないか…、ということでしんべェに協力してもらい、しんべェの得意なことで対決して負けることにしました(結果は当然全敗)。

そんでもって自分に自信を無くした先生はちょっとだけ前向きになって、しんべェに感謝をしました。

芽が出てこなかったらっきょの種もようやく芽を出して、めでたし・芽出たし。

さすが浦沢義雄先生!
ちょいとシュールだけど、良い脚本を書きますね!
明日のために~その一!

打つべし!打つべし!(キーボードを)


明日のために~その二!

読むべし!読むべし!(教科書・ノートを)


明日のために~その三!

喰うべし!飲むべし!寝るべし!(これ超大事)


以上!(今週はテスト週間なのです^^;)
本日、こはる日和-110123_130053.JPG

今日仙台の町の中をふと歩いていたら、偶然ある詩と出会った。

多少うらぶれてしまったビルの一角で、ひっそりと佇んでいたようなこの詩。

~何かをしよう
みんなの人のためになる
何かをしよう
よく考えたら自分の体に合った
何かがあるはずだ
弱い人は弱いなりに
老いた人は老いた人なりに
何かがあるはずだ
生かされて生きている御恩がえしに
小さいことでもいい
自分にできるものをさがして
何かをしよう
一年草でも
あんなに美しい花をつけて
終わってゆくではないか~

坂村真民という詩人によって描かれた詩だそうです。

この詩を詠んで、私も真っさらな裸地に芽吹く一年草のような何かができる人になりたいと、ひそかに思った。


…それだけに。本当にそれだけに!(強調)。

こんなにも素敵な詩が、某成人向け書店のでっかい広告の隣りに提示されているなんて…可哀相すぎるだろー!

…まあ、その某書店も大人の人の役に立つことをしているってのは確かな事なんだけどねっ(おい)。
どうも。最近9才のブロガー兼ツイッター者である「はるかぜちゃん」の本音つぶやきに刺激を受けたこはるです。

凄いよ~この子。

この年にして『ガラスの仮面』とか『パタリロ』とか『カムイ外伝』のような懐かしのマンガから、『ひぐらしのなく頃に』みたいな最近の萌えグロマンガまでざっと数えて1000冊位読んでいるんだよ。

だから自分の考えをちゃんと持っていて大人びているし、堂々と自分の意見を皆の前で言うことが出来るんだね。

そういや、昔9才だった頃の私って一体何をしてたっけかな…。

何だか皆にものすごく迷惑をかけていたよーな記憶しか無い訳だけれど(かなりのわがままだったし^^;)。

…でもギャンギャンやっていた割には、自分の意見を満足に言えないような子だったな…これは今もだけどさ。

でも今はあの頃と比べて、ちょっとは成長したかなと思っているんだ。

いつも実家に帰る時にバスを使うのだけど、今日はたまたま男の人と相席になってしまった。

その男性は乗っている間少し足のスペースを取り過ぎていて、それが私は少し嫌だった。

1時間これを我慢するのはちょっとキツいなぁと思い、思い切って男性に「すみません…」と言ってみることにした。

…そしたら男性は私の気持ちに気付いたのか、自らの足を邪魔にならないようにしてくれたのでした。

これは言う状況によるけれども、やはり言うべきことは言って損することは無いんだと改めて思いましたね。