65、どう動く? 今、舵をきる。
「こうなりたいな」
「こうありたいな」
そういう自分の想いを叶えたくて、
何かを始めてみたり、
学んだり、
体験したり、
そういう自分を創りたくて、
服装を選んだり、
使う言葉を選んだり、
自分の気持ちを整えてきました。
自分が望んだ自分のはずなのに、
ちょっと息苦しく感じるのは、
本当の自分からの望みではないから。
”こうありたい”が
いつの間にか
私は”こうあるべき”に変わっていました。
きっと、
こうした方が優しい人って思われる。
きっと、
こうした方がしっかりしている人って思われる。
きっと、
こうした方が余裕がある人って思われる。
こうした方が楽しんでいる人って思われる。
……。
他人から、
そう思われる、
そうみられる、
そう認識される。
そういう自分であろうとしていました。
他人や
社会から見た自分が、
ありたい自分の基準になっていました。
だから、
いつも
ちょっと自分に無理をさせて、
ちょっと自分を偽らせて、
装飾した自分でいました。
この基準でいるから、
自分の叶えたいことが
叶いにくいのかもしれない。
自分が望んでいることは、
本当の自分の望みですか?
本氣の望みですか?
自分の中に、
それがわかっていたら、
あなたはどうしますか?
私は、
自分の中にそれがあることに、
うっすらと氣づいて、
でも、
その方向に舵をきるのが怖い。
今ある、
そこそこ安定した状態を
離れることに恐怖感があります。
それでいて、
現状に留まることに窮屈さを感じています。
本当の自分の望みに気づいたとき、
舵取りは自分次第。
現状を維持するのも、
そちらに舵をきることも
他の選択も自分が選べるんだ。
”自分の舵取りは自分自身”
そう感じました。
でも、
もしかしてだけど、
本当の自分の望みに気づいたら、
それを叶える方向に、
もう、動き出しているのかもしれません。
アイ
