先日お会いしたかたが、
一緒に暮らすパートナーとたまにもめるのが
いつまでたってもなくならないと話していました。
どうやら度々小さなけんかになるようでした。
どんな仲のいい相手でも、
毎日いると全くぶつからないでいるのは
難しいかもしれません。
ただ、共同生活でのもめ事のほとんどは
あることから離れるとグッと減ります。
それは、「どちらが普通か」という主張です。
普通こうだから
こんなの常識だよ
みんなこうしているもの
など、普通や常識という言葉が出てくると、
それぞれの普通が違うため、
自分の普通が普通だ!という争いになったりします。
でも、そこはどうでもいいはずです。
普通が優先されると、どうして当たり前に思うのでしょう?!
“常識だから、家族間、恋人間も
それをルールとしなければならない”
というルールはないですね。
人と人との間のルールは、オリジナルでいいはずですから、
“あなたはそう思うのかもしれないけれど、
私はこうするのがいいと思う。” と言えば、
少なくとも余計な争いに広がることは減ります。
そして2人、または家族間で、
お互いに“自分の普通” から離れ、
お互いが譲り合い受け入れ合えば
そうもめることはありません。
これは家族以外の人間関係でもそうです。
自分の当たり前、常識を相手に押し付けなければ、
イライラすることも減ります。
例えば会社で、
“普通 新人は時間より早く来ておくものだ” という
自分の常識を手放し、
“私はこう思うけれど、彼はそう思わないのだな。” と、
ただあるがままを受け入れるだけにして、
相手に押し付け望まなければ
自分がイライラせずにすみます。
夫婦間でも、
“それはどこの家でもだいたい旦那さん(奥さん)がやるものだよ” と言わないで、
“これは私は手が回らないから、
あなたに手伝ってもらいたいのだけれど、お願いできる?” と言えば、
もめ事にはなりません。
常識を持ち出してその人の価値観を押し付けられるから、
相手も鉄の壁が出現してしまうのであって、
常識だからではなく、
私はそう思うからと言えばいいだけです。
それで、「いや、無理」となるなら、
お互いに譲歩案を考えればいいのです。
うちは主人が超が付く潔癖症で、
私にとっては意味不明な彼独自のルールがあるのですが、笑
普通がどうであろうと、
私はたいていちょっと面倒だけれど別にそれでもいいやと思うので、
指摘されたら“取り扱い説明書に一つ追加” するだけです。
こういう人に「汚なくないよ」と
正論を言っても通じないですからね。笑
「え、それ、洗い直し?!」
「え、それも消毒?!」なんて日常で、
目の前の「それ取ってもらえるかな?」と言えば、
「手をきれいにしたからもう触れない」と返えされたり、
外出から帰った私は近寄るなとウィルス扱いですが、
まあ服や持ち物も私も洗えばいいので問題なしです。笑
(むしろ不便だろうなと気の毒だったり。)
普通や常識なんてこだわるだけ
自分も相手もストレスの元ですから、
「どちらが普通か」という無意味な問題は
サクッと手放して、
正論、正しさで戦おうとしないで、
譲り合い受け入れ合って、楽しくいきたいですねo(^-^)o
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