一昨日のブログで、
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人生の予想外の出来事は想定内と言うお話をしましたが、
その中で、予想外の出来事も、
振り返ってみればいつも
ベストタイミングで起こっていると書きました。
ベストタイミングで起こっていると書きました。
ある程度年齢を重ね、
客観的に人生を眺められるようになると、
誰でもそれに気づくと思いますが、
そんな予想外の出来事の中でも、
特に辛く厳しい出来事は、
振り返ってみればこれ以上ないタイミングで
起こったことがわかりますし、
また、そのタイミングに愛を感じます。
できるなら起こらないでほしい
人生がひっくり返るような厳しい現実が
雷のように落ちる時、
まるで現実の天災と同じように
何もかも失いもう立ち上がれないと思う時、
しっかり両目を開けて俯瞰してみると、
何故それがその時の自分に起こったのかがわかります。
間違いなく、ただの誰かのせいではありませし、
偶然運が悪かったわけでもありません。
(もちろん、自分が悪い人間だから罰が当たったのでもありません。)
そんな厳しい出来事を神様?は
いじめようとして起こしたわけではなく、
私にどうしても必要だから
私が苦しむとわかっていても
起こさずには通れなかったのでしょう。
辛く厳しいことが起こるのは、
私たちが気づかなければならないことがあるからです。
学んでほしいと、
きっと心を痛めながら試練を与えているのだと思います。
中途半端な経験では学べないから、
せめて一度で済むようにと、
考えてくれてのタイミングだと思います。
どこまでも優しく愛情があふれているのです。
よく引き寄せの法則などでは、
光にフォーカスすることを提唱しますが、
実際は、世の中光だけではありません。
それが現実です。
影なんて見ないで、まるで光しかないかのように生きるのは、
ただ見ないふりをしているだけで無理があります。
例えば、愛情や優しさなどを光とすると、
人間である限り、どんな素晴らしい人だって、
小さな小さな怒りや自己否定などの影があります。
普通の人の何百分の一かもしれませんが、
神様じゃないのですから、
あるのです。
余談ですが、
人は、“人徳者”と呼ばれる立場の人に厳しいですね。
スピリチュアルなお話を説く人に、
(例えば 江原さんなど。)
影(例えば怒り)なんてあったらニセモノ扱いです。
でも、みんな人なんです。
そんな人たちは神様ではなく、
人間の素晴らしい先輩なのです。
話を戻しますと、
影の部分を無視し続けると、
いると認めてくれない影が「見て!」とばかりに
突然目の前に現れることもあります。
そんな時に、まだ光を見なくちゃとしがみついても、
“ありがとう”などの言葉を呪文のように唱えても、
無駄です。
そんな時は、ただ
自分にも闇があると直視して、
受け入れるしかないのです。
それができればクリアできます。
“いや、そんなものない!” と、目を背けていると、
いつまでも苦しいです。
人は人なのですから、
みんな成長の差はあれど未熟なのです。
光にフォーカスするのは悪いことではないですが、
影があることもまた事実で、
そんな自分を正面から受け止め認めて、
それを全身全霊で感じることでしか
消化できません。
それができると、嵐のような現実が凪いで、
穏やかになっていきます。
今までに何度かそんな雷が落ちたことがあります。
それは言葉にならないほど厳しい経験でしたが、
あってよかったと思います。
そんな経験を繰り返し、
ある時は、自分は自分が思ったほど
立派な人間ではないと知り、
ある時は、自分勝手な欲望と向き合い、
そんな経験をするたびに
エゴを手放していくのだと思います。
醜悪な自分を直視し認めるのは勇気がいりますし、
辛いですが、
それを受け入れずには
人は成長していけないのです。
そんな厳しい経験をすでにたくさんしてきた人ほど、
多くの影と向き合いクリアし、
今 光輝いています。
厳しい問題は、小学生には無理だから、
高校生がやるものです。
厳しい問題がきたなら、
神様にクリアできると見込まれたのです。
高校の卒業試験かもしれませんね(^_-)☆
(厳しい問題が来ないのがえらいのではないです。)
厳しい問題が来るのは正直キツイですが、
何度も味わうと乗り越えるコツがわかってきます。
それまで気づかなかった影(エゴ)を直視し、
そんな自分を受け入れることです。
必ず出口はあり、
以前より更に光輝く自分になれます。
今 厳しい問題の只中にいらっしゃるかたが、
大切なことに気づき
卒業試験をクリアできますように…。
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