最近よく聞く、

『ワクワクすることをすると
物事がスムーズに進み夢が叶う』
というお話ですが、
私もこの言葉は大好きです。
でもこれには条件というか
大切なポイントがあります。
それは、
『統一性を持ってワクワクを行う時』です。
バジャールの本にも何度も出てきますね。
この、“統一性を持って”という言葉、
ピンと来ますか?!
本にはこんな風に書かれています。
「統一性をもって」とは、
自分はほかの誰も、あるいは自分自身をも
自分はほかの誰も、あるいは自分自身をも
傷つけることなく、
自分のやりたいことを何でもできる力を
すでに持っていると信頼していること。
だそうです。
わかりましたか?!
統一性とは、
誰も傷つけない上での自分への信頼?!
なら何故、“誰も傷つけず自分を信頼して
ワクワクしましょう”と言わないのか?!
私はなんとなく分かるような、分からないような…という感じでした。
(この説明の意味はわかりますが、
そういう意味ではなく。)
そこで色々ネットで調べたり人に聞いたりしましたが、
ぼんやりとしかわからず、
ある答えはこういう時には当てはまるが、
こういう時には当てはまらない、
という感じで、
それこそ統一性がありません。笑
言葉の定義がハッキリしないというのは、
理解できていないのと同じで、
うまく使いこなせない理由になります。
もしかしたら、まだあなたの夢が叶わないのは、
叶う夢と叶わない夢があるのは、
そのせいかもしれません。
ただワクワクしてれば全て正しく、夢が叶う、
というわけではないということですが、
それについてきちんと解説されているものって
本当に少ないです。
たまに書いている記事があっても、
バジャールの本から写しただけで、
具体例や見分け方などは書かれていませんでした。
なので最近までずっとバジャールの使う
“統一性を持って”という言葉の意味を考えていました。
そこで私なりに答えを見つけました。
まず、色々な例や情報からご紹介すると、
これは聞いた話ですが、
プロレスの前田日明さんが、
その統一性の意味についてバジャールに質問した時の答えが、
『例えば、暴走族がバイクで迷惑運転をしている時、
ワクワクしていますが、
それは統一性があるワクワクとは言えません。
本人はワクワクしているつもりでも、
周りは迷惑していて、
周りと調和していないし、
付近住民のイライラを無意識レベルでは
暴走族も無意識に感じとっています。
こういうのは長くは続かないし、
統一性があるとは言えません。
もしバイクを飛ばしたいなら、
モーターレースなどに出て優勝すると、
周りからも喜ばれ統一性がある状態と言えます』
とのことでした。
わかりやすい例ですね。
なるほどです。
でも、じゃあ、別の例ですが、
俳優になりたいと本当に願いワクワクする息子を、
親が、将来の生活のために
いい大学に行けと言って反対する時はどうでしょう?!
息子はワクワクしていますが、
親は心から息子のために心配しているのに、
いうことを聞かない息子を困ったものだと
思い、
母親が本気で泣いて止めたとします。
息子のワクワクは周りと調和していないことになります。
ワクワクするのに親の了承が必要ということでしょうか?!
私は、息子が本当に望むなら、
親が反対しようと目指せばいいと思いますが、
“誰も傷つけることなく”と言う条件は当てはまりません。
“統一性を持って”の定義はどうなるのでしょうか。
また、別の例ですが、
私の知り合いに、浮気をしても全く罪悪感がなく、
とてもピュアにたくさんの人を同時に愛する人がいました。
彼は自分が誰かを愛するときワクワクして
喜びに溢れていて、
それが何故ダメなのかが全くわかりません。
逆の立場に自分がなっても、
全く傷つきません。
よくあるように肉体関係を求めるというよりは、
ただ純粋に愛しく感じたから深い関係になり、
もちろんその後も優しく付き合うのですが、
平行して何人も付き合ったりしました。
誰のどんな制限からも自由に、隠すことなく、
たくさんの人を愛していました。
「いや、それは周りが苦しむからダメだろう」
と思うかもしれませんが、
すごいことに彼はバンバン夢を叶えていました。
話せば長くなりますから省略しますが、
どう見ても彼は天から愛されていました。
どんなに浮気を重ねても
(彼にとっては“浮気”ではなかったですが。)
彼の心が汚れたり
くすんだりしたようには見えず、
彼の本質を知る人たちからは天使と呼ばれていましたし、
私もそう思いました。
さて、“統一性”って何でしょうか?!
もう一度書きますが、
バジャールはこう言っています。
自分はほかの誰も、あるいは自分自身をも
傷つけることなく、
自分のやりたいことを何でもできる力を
すでに持っていると信頼していること。
これに沿ったワクワクをしていると
夢が叶うと言っています。
“誰も傷つけずに” “信頼して” ?!
何かもっとベースの大切なことがあるような気がします。
何かをあえて言い換えたら
こうなりませんか?!
私はこの定義を勝手に置き換えてみました。
“統一性” とは、“愛の状態” ではないでしょうか。
男女間の愛というより、
もっと大きな意味での愛です。
まず、愛の状態は悪意がないです。
前出の例の母親を泣かせた息子は、
母親を困らせたかったわけではなく、
浮気する知人は、全く罪悪感がなかったです。
ということは、悪意がないのです。
誰も傷つけないとは、
実際に表面に一つの痛みも与えないというよりは、
魂の本質に傷をつけないということでは?!
母親の悲しみは、親心ですがエゴでもあると言えます。
なぜなら、息子の人生は息子のものだからです。
その傷は本質を傷つけたわけではなく、
母親にとっては気づくために必要な出来事の
一つのように思います。
また、普通浮気をすると楽しんでいるようで
無意識レベルでは自分も傷ついています。
暴走族と同じ原理ですね。
ですが、その知人は、
全く本当に罪悪感がなく、
無意識レベルでも傷ついていなかったと思います。
罪悪感がないから無意識レベルでも
彼自身がまず傷つかないですし、
周りが傷つくことも全く想像できませんでした。
故に彼の魂は傷つきません。
想像できないからないのです。
愛は、罪悪感とは対極ですが、
それがない状態だった彼は、愛の状態だったといえると思います。
(世間一般でいう愛ではなく、バジャールたちのレベルの愛です。)
私の中でやっとつながりました。
バジャールの言う統一性とは、
愛のことだと思いました。
それは、表面に見えることだけではなく、
もっと本質的に自分を含めた誰の魂も傷つけないということで、
潜在意識レベルで傷つけないということなのですね。
または、
愛というベースの上に
わかりやすく付け加えたものではないでしょうか。
愛とは、
“自分も含めて誰も傷つけずに、
自分も世界も宇宙も、
全てを信頼し疑いがない状態”です。
それは、とてもパワフルで、
どんな現実も創り出していくのに必要なパワーを
既に持っていると知っている状態です。
バジャールは、愛というと
男女間の愛や、人によって捉え方が違い、
私たちがわかりにくいから
あえて言い換えてくれたのではないでしょうか。
(翻訳された英語ではどんな単語だったのか、
探しましたがわかりませんでした。)
統一性を持ってとは、
自分はほかの誰も、あるいは自分自身をも
傷つけることなく、
自分のやりたいことを何でもできる力を
すでに持っていると信頼していること
ですが、
この言葉だけで定義しようとすると
うまくいきません。
せっかくくれたバジャールのアドバイスですから、
言葉に縛られず、
でも言葉を聞き流さず向き合い、
それを使い行動し、
バジャールの言う愛の状態で
自分の心がワクワクすることをしていきたいですね。
ワクワクにしろ、
何をするにしろ
愛ありき、ですねo(^-^)o
P.S.
これは今のところの私の考えです。
実はもっとわかりやすく例を上げてお話したいのですが、
実名でブログを書いているので、
周りの人が関わることで書けないことも多々あります。
やはりこういう踏み込んだ話は、
実際にお会いして話せたらいいなぁと思いました。
それはともかく、
またこのお話で新たな気づきがありましたら、
書きたいなと思います(*^.^*)

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