今夜も星がきれいですね。
寒くなってきたぶん空気も澄んで、
夜が早くやって来るぶん星にも早く会え、
眺める機会も増える季節になりました(*^.^*)
私は星や宇宙のことを考えたり
そんな本を読んだりするのが大好きですが、
仕事終わりに車から降り、
家の駐車場でふと見上げる夜空は、
宇宙だ、星だ、ということを忘れさせ、
そのただ在る美しさに無心で見とれるばかりです。
そんな空っぽで何の色もついていない“間”が、
人間にはとても大切だと思いますが、
あえて持とうとすると難しいものかもしれません。
その“間”を取り戻させてくれるのは、
いつも星や空、雲、木々、川…など自然だと思います。
(京都 鈴虫寺にて。)
例えば、神社に行って
パワースポットだからと木に触れるのもいいと思いますが、
“パワーがあるらしいから触る”より、
私は、何も考えずふと目に留まるものに意識を向けたり、
何かエネルギーをもらおうとして
触ったり長くいたりすることに忙しくならないで、
特別なエネルギーを感じ取ろうとがんばらないで、
ただ在るものをそのまま味わうといいように思います。
そんな“得よう” “得たい” という欲から離れている時ほど、
すんなりエネルギーは流れると思いますし、
“間” が、素敵な気づきを運んでくれたりします。
“せっかく来たのだから” という欲から離れるのが難しいなら、
いっそ何も考えずに楽しんでしまえばいいと思います。
また、星や月を眺めている時に来るたくさんの気づきは、
星の名前や明日の天気を気にしている時には来ないです。
(エネルギーは流れていると思いますが。)
パワースポットや神社でも、
同じだろうなと思います。
同じだろうなと思います。
以前、始めて歩く森を散歩していた時に、
とてもきれいな鳥の声が聞こえ
「きれいだね~」と話ていたら、
一緒にいたその森の近くに住む人が、
「みんな、きれいな鳥の声が聞こえると、
あれは何という名前の鳥かと聞きますが、
それを話すより、きれいな声を
もっと味わって聞けばいいのに。笑」
と言っていました。
ごもっとも、と思いました。笑
日頃から私たちはそうやって名付けたり
名前を確認したりしてわかった気になり、
味わわずに知ったことで満足しがちです。
星の名前や星座もそうですし、
雲の名前や雨の名前など、
なんでも名付けて知り満足して終わります。
たくさんの雲や雨の違いを感じ名付けるのは
素晴らしい感性だと思いますが、
逆にそれにしばられてしまうのはもったいないですね。
本当は感じるためには、
名前なんて知らなくてもいいのです。
知りたい欲求すら手放した時に、
“間” が訪れると思います。
そんな時間を大切にしながら、
これからの冬の空や山の美しさを
味わっていきたいなと思います。
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