昨日はピアノの弾きあい会でした。

長年散々ピアノを弾いてきて、
最近になってまた色々と発見が。


現役時代は、常に評価を気にしていたな。
だから本番はいつも絞首台に立つ気分で、
失敗するなら死にたいと思っていました。

“練習してきたことを完璧に弾きたい”
“先生にアドバイスされたことをきちんと直して弾かなくちゃ”

舞台は私にとって裁判所みたいなもので、
成功すれば聖人、失敗すれば死刑囚みたいな。


私の直接お世話になった先生方は、
人間的にもとても尊敬できる素晴らしい方々で、
本番での失敗など
後でゴチャゴチャ言うような人ではなかったですが、

よく知らない他のお偉いさんたちや両親、
同業者たち…の
何気ない一言や評価に傷つくのが怖くて、
たった一回のミスに注目され評価されるのが嫌で、
毎回胃に穴があくようなストレスとの戦いでした。


ただただ、
“練習してきたことを完璧に弾きたい”と思い、
舞台では観客席は全員敵で、
敵に付け入る隙を与えないように
“あそこはまだまだだ”と言われないように、
弾くことに集中していました。


もちろん、曲の表現や音色に集中して弾いていましたが、
弾く前はそんな気持ちでした。


よくやってたなぁと思います。
だってどう考えても楽しくないし。

うれしいのは、上手く弾けて高評価を得られた時だけ。


ミスると、全くピアノなんて弾けない両親からも、
「音はずしてたね。全然弾けてなかった。」と言われたりしました。

深い意味はなくても、
それにどれだけ打ちのめされたことか…

毎日毎日練習してきた時間が、
全て無駄になったと宣言される気持ちは、
やった人にしかわからないでしょう。


それでも弾き続けてきたのは、
ピアノが好きだったから。
もうホントにそれだけです。


誰も私のピアノを好きと言ってくれなくても、
ピアノや音楽は私を必要としていなくても、
私が好きなんだから…と。

まるで永遠に報われない片想いみたいに、
泣きながら弾いてました。



現役をおやすみして10年。
その間は気楽に遊びで弾く程度。

そして約一年前、再び弾き出しました。


以前そんな中で弾いていたことをまた思い出し、
そして初めて評価されるのがイヤだったんだと
ハッキリ気づきました。


自分は舞台にも上がらない
“かつて弾いていたらしい人”に
頼んでもいないのに上から批評されるために
私はピアノを弾いているわけじゃない。


ただ楽しみたいんだ。
自分も、聴いてくれる人も一緒に、
きれいだなと感じたり、感動したりしたいんだ。


私はたまにあまりにも美しいものを見たり聴いたりすると、
「これに出会えただけでも、生まれてきた価値があるなぁ!」と思います。

そこまでじゃなくても、人生のひと時の間、
ピアノを通して誰かと時間を共有し、
共に喜べたらいいなと思うのです。


『すごい!』や『じょうず!』も、
『弾けてたよ』(←この上から評価・・・)も、もういいんです。


私は100人の中1人でも、
『心に響いた』とか『きれいな曲だね!』とか
『ピアノ弾いてみたくなったよ』と言ってもらえたら、
最高に幸せです。



今までは評価を下げられないように、
認めてもらえるようにがんばっていました。

それは“自分のため”でした。
自分の自尊心を傷つけられないため。
自分のやってきたことは無駄じゃないと
確信するため。


でもこれからは、
聴いてくれる人に幸せを感じてもらえるように弾きたいです。


そう思えるようになり、
私のピアノ人生はまた輝き出しました。

今、弾くことが楽しいです。


人前で弾く時は昔の思い癖がなかなか抜けないけれど、
少しずつ手放していきたいな。

もう評価なんか怖がらなくていいんだよって、
自分に言いたい。


そして、90歳になってもピアノが弾けたらいいな。
できれば、誰か聴いてくれる人がいたらうれしいな。

いなかったら、花や木に聴いてもらおうっと。(*^^*)