香港を想い出す 前編
九龍城について本を読み漁ってたら、自分が初めて香港に行った時をすごく思い出した。
少々マニアックな記事なので、ほとんどの人は読んでもおもしろくないと思うよ。
知ってる人には、すごく懐かしいと思う。
香港に初めて到着したのは、夜真っ暗になってから。
空港が近付くと、飛行機の中からは、肉眼でも看板の字がはっきり読めるほど低飛行になる。
見えたその景色は、まさしく香港の町って感じで感動。
今でもすごく覚えている。
宿は予約なんかしてないので、とりあえずあの有名な重慶大厦(チョンキンマンション)へ直行。
A棟に行くと、宿がいっぱいあるので、とりあえずどこか泊まれるだろうと。
入口でチャイニーズのおっちゃんの客引きにつかまった。
値段はだいたい聞いてた相場ぐらいだったし、外はもう真っ暗だし、あまりうろうろするのも嫌なので着いていく。
宿は西洋人がたくさん泊まってるドミの部屋。
共同キッチンもある。
この宿自体は全然嫌じゃなかった。
しかし、ここは4泊して他の宿へ移動した。
どこが嫌だったかというと、エレベーターが駄目だった。
自分の記憶ではチョンキンってA~D棟まであったと思ったけど、今調べるとEまであったのかなあ。
Aは西洋人や中国人、その他色々な人種が乗ってるし、わいわい楽しそう。
しかし、自分の泊まってたのは、たぶんCかDだったと思う。
そのエレベーターは何故か、中国系なんて1人乗ってるかどうかで、あとは肌の浅黒い中近東かインドあたりから来た男たちで満載!
女性乗車率なんてほぼ無し。
それがなんだか不気味で・・・
何かをされたというのではないんだけどね、いつもエレベーターに乗るのが憂鬱だった。
当時の日記を見ると、もうひとつその宿で嫌だった原因が書いてるので思い出したけど、今では忘れてしまってるぐらいだから、そんなに大きな原因ではなかった。(繰り返し書くけど、宿自体は何にも問題ないんだよ。)
その頃のチョンキンは防災面でも不安な点が多かったしね。
ある日、エレベーターが故障してたのか何か忘れたけど、階段を使わなくちゃいけない事が一回あった。
ちょうどエレベーター待ちしてた同じ宿の白人と二人で薄暗い怪しげな階段をぐるぐる降りたけど、チョンキンの階段の雰囲気は恐ろしかったよ。
別に何もなかったけどね。
帰ってきた時はエレベーターが復活してたから良かった。
1階でエレベーターを待ってる時に、向かいにインド人だかネパール人だかがやっているテイクアウトのカレー屋があった。
自分も1回だけ買って食べた事あるんだけど、味はもう忘れた。
その店はもうそにはないけど。(形も変えてどこかでやってるのかもしれないが)
↑これは2005年に行った時、撮った。
近くの店に食べたいものがあって、その時前を通った。
ラッキーハウス2って今でもあるけど、その頃はラッキーて4つあった。
当時、1と4の場所を聞いたけど、どこにあったかもう忘れた。
自分が移動した宿はラッキーハウス3。
30歳前後の香港人姉妹が経営してたと思う。
日本人もまあまあいたけど、白人が結構たくさん泊まってた。
英語を香港で教えてる人も何故かドミに泊まってて働きに行ってたし。
ラッキー3は、チョンキン近くの漢口道にあった。
数年後、この場所に行ったら、確か「VICTORIA HOSTEL」っていう名前に変わってた記憶が。
GOOGLEで現在どうなってるか調べると、今は全然違うものになってる。
写真真ん中あたりにSEIKOって文字がある看板の右下を入って行った。
当時もこんな看板があったかは覚えてない。
↑GOOGLE STREETより
当時、目印は漢口道を歩いて、青い看板に白文字でSEIKOって書いてある小さな看板があるから、そこの階段を上って2階にあった。
(その小さなSEIKO看板、数年前香港に行った時、当時のままと同じように健在だったよ。)
↓下の写真の赤丸で囲んだ看板。GOOGLEではわからないな。
当時、九龍城がまだ健在だった。
立ち退きがもう決定してたので、住人はだいぶん出てしまってたような気がしたけど、この間、本とか読んでたら当時もまだまだ人がたくさん住んでたみたいだな。
自分が行った時、撮った写真。↑↓
実は自分も九龍城の中を少し探検したんだ。
どこをどう歩いたのかわからないけど、薄暗くてジメジメして、頭上には無数の線がいっぱいあった。
ごみもいっぱい落ちてるし。
でも店は普通に営業してた。
今でも記憶にすごく残ってるのは、米屋。
白いシャツを着た小太りのおっちゃんが店の中にいた。
別にそこらへんの店と何も変わらないし、おっちゃんも見たところ、普通の人だった。
もっと色々見たはずだけど、写真なんてもちろん撮れないし、だいぶん前の事だから忘れてしまった。
しばらく城内をうろつき回った後、階段を上って屋上を目指した。
階段もゴミだらけ。
すると途中で、父親が小さな女の子を怒る声が聞こえてきた。
こんな汚い中で、小さな子が住んでるんだと驚きもしたけど、ほっともした。
↑屋上から自分が撮った写真。
わかりにくいけど、白い高層ビル群の手前に飛行機が見える。
そう、啓徳空港だよ。
写真集を眺めてる時、自分はいったいどこのビルの屋上に登ったんだろうかと疑問が湧いた。
当時屋上でゴミに囲まれて自分が写ってる写真があるので、それでチェックした。
↑写真集より
赤矢印の場所だと判明。
↑写真集より
正面から見ると、ここだね。
小さな子がいた部屋は外に面した明るい場所に住んでたのかもね。
屋上もゴミだらけだったよ。

探検後は、九龍城の広い公園か広場に面した食堂で昼食。
九龍城と言えども、別に普通の安食堂となんら変わりはない。
当時の日記を見ると、白菜と豆腐って書いてるので、白菜の炒め物と紅焼豆腐を食べたんだろうと思う。
おいしかったよ。
オーダー取りに来たお姉さんも、ほがらかでいい感じだったし。
ちなみにここへは一人で行ったのではなく、同宿の日本人と一緒に3人で行った。
ひとりは九龍城へ以前も行った事がある人だったし、この人は広東語は少しだが、普通話は話せる人だった。
もうどんな人だったか、かすかにしか記憶にないけど、色々とありがとうございました。
自分の日記によると「九龍城には何故か牙科が多い」って書いてる。
当時、日記を書いてたと言っても、詳細に書いてたわけではなく、ごく簡単に印象に残った事だけを短い文章で残してただけ。
何でもっと詳しく書かなかったんだろう。
それとフィルムカメラの時代だったけど、もっと写真を撮っておけばよかったのに、当時の自分・・・
ちなみに九龍城亡き後、チョンキンが今はその代名詞のように言われてるけど、当時でもチョンキンの方が何十倍も綺麗だったし、怪しさもあれに較べれば全然だったよ。
1階とか2階は店がいっぱいあったので、当時よくぶらついてたし。
今もチョンキンには怪しさが漂ってるけど、それでも自分が泊まってた頃に較べると何倍も綺麗になってる。