「また父親ネタ?」と思われてしまいそうですが
お許しくださいlね。
手帳と、ペンケース。
父が亡くなる1ヶ月前まで使っていたものです。
今は、私が引き継いで使っています。
父が東京でお店を経営していた当時からの理容師の友人に宛てた手紙。
下書きが出てきました。
こちらの理容師さんは、東京都の理容組合の理事長をお務めになり
ご勇退され
その際、東京都の記念誌を父に送ってくださいました。
その事へのお礼の手紙でした。
これを読んで改めて16年前に名義変更をしたんだ・・・とか
思い出しています。
私は本当に全てに意識が薄いので反省です。
手紙の一番上の文章。
「これを時代の流れとして一言で片付ける事は出来ないと思います。
理容美容の業界について、将来に対する議論を失っているように思えて
残念でなりません。」というところ。
「暇だ暇だ」と言う事
「理容師のなり手がいない」と言う事。
原因と、対策、行動が必要だと言っていたのは10年以上まえ。
「恵美はどう思う」と聞かれた記憶があるのですが
当時は私、自分のことで精一杯で業界の事を真剣に考える余裕はありませんでした。
お手本となるような事例もないまま
とにかく自分で自分のことは考えて挑戦してきました。
それができたことは、本当に幸せでした。
お店を完全予約制にしたい。と父に申し入れた時も
反対されることもなく、全て任せてくれました。
このメモは、父が東京でお店を出したばかりの頃
なので、27歳くらいの時のものです。
今の私が見てもよくわからないような内容ですが
作業時間の計算ですね。
そして、これは私が生まれた昭和39年の暮れのお客様の人数。
12月28日は32人。
当時父のお店は、技術者2人に今でいうアシスタントが1人だったのですが
昔の人は、とにかく働きましたし忙しかったのですね。
私は28日の午前3時頃生まれたのですが
仕事が忙しく病院に行けたのは29日の夜だったと聞いていました。
この数字を見ると、29日に行くことすら大変だったはずです。
しかも、出産がお正月にかかりそうで
病院の先生が陣痛促進剤を使うことを提案したことに対して
父はそれを断り、病院まで出向き
普通に産ませて欲しいと先生にお願いしてくれたそうです。
今では促進剤は使われますが55年も前では不安なものだったのだと思います。
私は、この時から充分すぎるほどの愛情を受けてきました。
父が残してくれたものは
あまりに深く、温かいものばかりです。