本日はリメンブランス・デーでした。

 

リメンブランス・デーはの第一次世界大戦終結を記念してイギリスではじまった記念日で、第一次大戦が終わった11月11日(1918年11月11日)が記念日として定められました。カナダもイギリス連邦の国として、この日は大部分の州やテリトリーで国の法定休日(Stats Holiday)に制定されています(例外: ノヴァスコシア州、ノースウェストテリトリー、オンタリオ州、そしてケベック州)。国の首都があるオンタリオ州でこの日が法定休日に制定されていないのは私にとっては驚きですが、これらの州にはこれらの州の理由があるようです(休日で単なる普通の休みと混同するよりは学校などで行事をもつ方が良い、とか)。

 

さて、この日に向けて、11月に入ったころから胸にポピーの花のブローチを付ける人が増えます。

ポピーはリメンバランスデーの象徴的な花で、始まりはいくつかあるようです。

この植物は荒れた地でもよく成長するので、戦場後に多く見られたようです。血のように赤い花が戦場に多く咲いたことが象徴的に受け取られたのでしょう。

 

そしてカナダ人の医師で詩人でもあったジョン・マックレーが、同国人兵士の死を機に書いた「イン・フランダース・フィールズ」が、英雑誌に掲載されたことでさらにこの花と戦場に散った兵士たちが払った犠牲が象徴的に結び付けられたようです。

 

最初の部分だけですが…

 

In Flanders fields the poppies blow (フランダースの野にポピーが風にそよぐ)
Between the crosses, row on row (十字架の間に、累々と列をなす十字架)
That mark our place; and in the sky (それは我らの場所を記す、そして天には)
The larks, still bravely singing, fly (ひばりが今も勇敢に歌い、飛んでいる)
Scarce heard amid the guns below ( たとえ銃のもとにほとんど聞こえないとしても)

 

 

この詩は欧州諸国でも人気を得て、その後、ポピーは象徴的に使われるようになりました。カナダでも退役軍人をサポートするための募金がポピー基金(Poppy Found)として集められていて、募金をしてポピーのブローチ(写真にあるようなもの)をもらいます。最初はもらうだけもらって、このブローチはリメンブランスデーのあとはどうなるのだろうか?と思っていたのですが、去年、初めて市内の式典やイベントに行ってみてわかりました。このブローチを十字や記念碑などに捧げる・供えることができるのです。

去年、行ったのはThe Field of Crosses(十字の野)で、私は無名戦士の十字にポピーを供えました。十字架の一つ一つに、戦没者の名前、亡くなったときの年齢、所属機関、亡くなった日が書かれています。ユダヤ教の戦没者はダビデの星のクロスとなっていました。10代の若者が多かったことに衝撃を覚えます。

 

今年はセントラル・メモリアル・パークに行ってきました。しかしここはハイランダーのパレードを含む式典があったためにものすごい人出でした。スピーチも、花輪献花も、パレードもほとんど見えない上に、ポピーを石碑に備えるための人込みと列もすごかったです。来年はThe Field of Crossesに戻りたいと思いました。それでも式典の最後にカナダ国家が演奏されたときには人々が静かに歌い始めたのは感動しました。スポーツの試合の前のような威勢のいい歌い方ではなく、静かに、つぶやくように歌う様子は、この日のこの場所にぴったりだとおもいました。

 

若い人も真剣にうけとめ、十字架に書かれている名前や時に備えてある彼らの手紙やストーリに見入り、退役軍人たちと言葉を交わしているのが印象的でした。

戦敗国である日本では戦没者慰霊と戦争支持が混同されることがあり、現役の兵士や軍に対する拒否反応などがあるのも悲しい話だと思うのです。過去(そして現在)の犠牲について真剣に向き合い、覚え、語り合うこと、大切だと思うのです。

 

DGは仕事でしたが、現場で11時(第一次大戦が終わった時間)にすべての作業をとめ、数分間の黙とうの時間を持ったとのことでした。あとで退役軍人の作業員がDGのもとにやってきて、現場で黙とうの時間を持ったことへの感謝を伝えたそうです。彼曰く、いままで、どの現場でもこんな機会はなかったと。

 

彼のことが誇らしく思いました。

 

Lest We Forget.