私たちは無条件の神の愛で
自分自身と兄弟を
愛する力を持っています。
神の愛は今も私たちの
心のなかにあるのですが、
私たちは自分の内なる
神の愛を世界に
そっと優しく投げかけ、
神の愛の光を
この幻想の世界に延長し、
神の愛で自分自身と
兄弟を無条件に
愛さなければ、
自分は神の愛
そのものであり、
神の愛するひとり子であり、
神聖な神の子
キリストであるという真実を
忘れ去ってしまいます。
そして、
この幻想の世界で
神と同じ愛し方で
愛を表現するとは
相手を無条件に受容し、
無条件に愛し、
無条件に相手の存在を
認めてあげることです。
そう、
神の愛とは
神の子の存在を
無条件の愛で
優しく受容することなのです。
だから、
相手が自分のことを
好きだろうが、
嫌いだろうが、
相手が自分のことを
愛していようが、
憎んでいようが、
相手が自分のことを
愛してくれようが、
くれまいが、
そんなことは一切、
関係なく、
自分は
相手を無条件に
受容してみる。
自分は
相手を無条件に愛してみる。
自分は
無条件に相手の存在を
すべて認めてみる。
彼の自由意志を尊重して
彼をあるがままの
彼のままでいさせてあげる。
そうして、
兄弟と自分を
神の無条件の愛で
愛しているうちに、
自分の本当の幸せは
愛されることではなく、
無条件の愛を
与えることだったのだ
と気づきます。
誰かから愛されたいと
願わなくても、
神の愛はすべて
自分の中にあります。
なぜなら、神は無条件の愛を
すでに私たちに
与えているのだから。
無条件の神の愛で
兄弟と自分自身を愛する時、
私たちは
神が神の子キリストを
どんなに深い無条件の愛で
愛していたかを思い出します。
神の愛はすべて
私たちのなかにある。
天国への扉は
閉ざされてはいない。
無条件の
神の愛で
自分自身と兄弟を
愛するならば、
私たちは心の扉を開けて、
天国の光の園へと
消えていくでしょう。
私たちが
内なる神の愛を
解き放ち、
光のなかで
神の愛を
思い出すことが
できますように。
(おわり)