八月八日はフタバーの日/大阪ムジカジャポニカ(09/08/08)
双葉双一
オープニングアクト:
シグネイチャーHONDAと四つ子の姉妹
(Gu:ジョンソンtsu/Gu:吉田ピンチfrom~ヒトリトビオ/Dr:藤井寿光from~ANATAKIKOU/Key:林美紀from~トウヤマタケオカルテット)
1.(曲名不明、不思議な四人の姉妹?)
2.(曲名不明、「~熱い戦い~」という部分が最初にある)
3.(曲名不明、2階には何もない?)
4.(曲名不明、「あまりに~」で始まる)
5.スポーツと気晴らし
6.山麓にて
7.ワルプルギスの夜
8.8月のほんの少し
9.家の中で花火
10.わたしの人魚姫1
11.手に捧げる歌
12.束の間の二日間
13.夜の底
14.ピクニック
15.人生やってこい(完全版)
16.こんなバカ騒ぎをまっていた(KBM)
17.ドラムレディ
18.恢復期
19.イン.ザ.ナイト.マイ.フェスティバル
20.アンダースロウ
21.瞬き分の夜
22.ウルスリ
この日は、青春18切符で早朝から列車に乗り込む。
本当は始発で向かう予定であったが、接続の関係で2番電車でも間に合うことが分かり、20分ほど余計に準備をする。
事前に麦茶とオレンジジュースを凍らせ、おやつも500円分以上詰め込み、なんとか予定の列車に飛び乗る。
この時点で、午前5時ちょっと過ぎ。
東京で沼津行きの東海道線に乗り、ほぼ順調に乗換ができるルートに溶け込む。
沼津で、凍らせていたジュースと麦茶が底を付く。
島田行き、浜松行き、豊橋行き、大垣行き、米原行き、姫路行きと、ほぼ11時間かけて大阪駅に辿り着く。
多少時間があったため、服を着替え、コインロッカーに荷物を預けたが、大きな花火大会の日と被ったようでなかなか空いているところがなく難儀した。
通りも人通りが多く、街では祭りのような格好をした人たちが、狭い地下街の通路を滞らせていた。
開場の少し前、さすがに多少の空腹を覚えていたので、「松葉(「双葉」ではない)」という串カツ屋に連れられていき、中身の分からないロシアンルーレット串カツを数本堪能した。
「ムジカジャポニカ」は、できたてかと見紛う学校校舎の対面にあった。
「ムジカ」はロシア語かイタリア語か分からないが、ジャポニカはロシア語なら「Японйка(スペル自信なし)」で「ヤポーニカ」という生格になると思われ、ラテン語系のイタリア語だと思われる。
おそらくは「ニッポンの音楽」といった意味のはずで、この店の命名にジョンソンtsuが関与していると思われる。
出発前、「マンダラ2」並みのキャパを想像していたが、阿佐ヶ谷の名曲喫茶「ヴィオロン」か国立の「地球屋」ぐらいのキャパしかないように見えた。
開場になり中に入ると、双葉双一の旧譜が4枚とも販売されていたので、「春と乙女」「ママレードパイのかわいい食事」を購入する。
この日出演するはずのジョンソンtsu王子も、開場間もない時間は厨房ゾーンで甲斐甲斐しく働く。
時折、「日本語で」やり取りがあり、ロシア語やイタリア語だけしか話せないわけでないことが再確認できる。
そして、ムジカジャポニカでの一つの目的、ジョンソンtsu王子の仕込んだ(筈の)「チキンカレー」を注文し、食す。
まず、ライスは丸い型にいったん詰めてからよそってあり、カレーの盛り付け方も含め美しく、食欲をそそる。
チキンカレーの鶏肉は、程よい大きさの塊がじっくり煮込まれ、強く噛み締めなくても解れていく柔らかさである。
柔らかな肉に染み込んだカレーの味は、決して辛くはないが、程よくスパイスを効かせて小麦粉を使わずサラサラに調理した品のよさが感じられる。
ランチで食せるのであれば、週に何度かは注文したい味だが、喫茶店やカレー屋ではなくライブハウスでこれを味わえるのは嬉しい。
なお、チーズなどのトッピングができるようなので、多少欧風好みであれば足すとよいかもしれない。
決して広くはない店内は、いつしか満席になり、入口カウンター付近には立見の客も見られた。
ちなみに、ステージ上には2本のエレキギターとドラムセット、キーボードが置かれ、地球屋のときとは異なる演奏スタイルが予想された。
なお、このドラムセットは「ママレードパイのかわいい食事」のアルバムのバックを務めた「ははのきまぐれ」から入手したものらしい(ラブジョイのbikkeブログ参照)。
そのため、双葉双一のマイスペースで観ることができる「5×5のクリスマス」のPVの中に、この実物と同じドラムセットを確認することができる。
いよいよ11時間かけてやってきた、目的のステージが始まる。
バックの3人は、皆帽子を被っていた気がするが、キーボードの女性の服装は覚えていない。
ギターはこの夏に不似合いなふかふかのロシア風の防寒帽、ドラムは南欧の映画の男優が被っていそうな帽子(名前は分からない)で、どちらもあまり関東では被っている人を見かけない。
ドラムの、立ちながらのハイハットのみの拍打ちで始まる。
だが、一仕事終えた後ならまだしも、叩き始める前から銜え煙草に火を点けて演奏に入ったのだけは、どうもいただけない。
ステージ横からジョンソンtsuが、けったいな様相で登場する。
サングラスには一文字ずつ「波動」とかかれ、上着もズボンも明るめの色のストライプ。
短いズボンから覗かせる両足は、ロシアのカモシカのように細く、柄物のタイツ(おそらく女性もの)を覆い被せていた。
「お久しぶりです、シグネイチャーHONDAです」と、流暢な日本語で前奏のBGMの中、挨拶を始める。
何でも、この日のセミナーの主題は「ロック・オペラ」で、アンサンブルによる「癒しの波動」をじっくり味わうことらしかった。
「ピンチお願い」と女性的な物言いで、ハイポジションのギターの旋律が奏でられる。
4ビートのゆったりした曲調で、ジョンソンtsuはギターを持たずハンドマイクを持ち、客席に降り握手して回る。
握手できたジョンソンtsuのファンにとっては想定外の幸運であったといえるであろうが、一応この歌が文脈のある「オペラ」的要素を持っていたと言えるのであろうか。
歌詞の内容は、「4人の姉妹は母親の病を治すために旅に出て、シグネイチャー本田先生に薬を貰いに出かけたが、結局先生には会えず、神の啓示によりバンドを組んだ」という内容だったと思う。
おそらく、この編成のテーマソングのようなもので、冒頭に演奏されるための曲なのであろうが、母親の病は大丈夫なのか心配なところではある。
「ラッラドラッラド」と「ドッドミドッドミ」のベースラインが、ベースではなくギターにより弾かれる。
そこでギターをやっと手にしたジョンソンtsuが、速弾きなど技術を駆使して「変な外人」のときとはまるで異なるパフォーマンスを魅せる。
次は、「みんながよく知っている曲」とのことだが、知らない曲が演奏される。
「2階には何もない」で始まる曲であったが、もしかしたらそれがタイトルかもしれない。
メロディは聴きやすく、プログレ系と異なり、人口に膾炙する一般受けのする曲であった。
格好は奇妙ではあったが、やはり間奏のギターソロでギターのみに集中して演奏するところは格好よく、ギターに対する半端ではない真剣な姿勢が窺える。
「どうぞ」とドラムを叩かせ、「4(曲名不明)」の演奏となる。
個人的には、このステージで一番この曲が気に入った。
太目の撥で叩く厚めの音のドラムと、旋律の倍音と少しずらして高音のギター(吉田ピンチの方)が音楽の表面を這いずり回る感じ(少し分かりにくい表現だが)がむず痒い中毒性をもたらし、また聴きたい気にさせる。
似た曲があまりないタイプの曲なので、タイトルが分かればぜひ知りたいところである(この曲に限らず、曲名が分からない曲のタイトルを教えていただけると大変助かります、よろしくお願いします)。
最後は、聞き馴染みのある「スポーツと気晴らし」で終了する。
双葉双一曲ばかりを演奏したジョンソンtsuのCDにも入っているが、同じ編曲だと思う。
演奏者としての役割を終えた後は、ムジカジャポニカのPAとしての役割に移り、スピーカーの音量の調節などを行っていた。
オープニングアクトは、もっと聴いていたかった気もするが(20分ぐらいか)、やはりジョンソンtsuのギターの上手さが光った。
日本語も達者だということと、ガット以外のギターも上手だということは、よく分かった。
もっとも、双葉双一と比べて言葉優先ではなく音符優先の歌い方であったため、歌詞がやや聴き取りにくく、頭の中で消化し切れなかったところはあった。
だが、バックも非常に安定してクオリティが高く、ムジカジャポニカの告知の「無駄に豪華なオープニングアクト付き」のコメントに相違はなかった。
さて、次はメインステージである。
このライブの数日前、双葉双一本人のブログで「歌詞や変な世界観を褒められるよりも、歌がうまいと褒められるのが一番嬉しい」といったことを書いていた。
歌詞と世界観で長年勝負し、現在の立ち位置を確立したと思われる双葉双一本人の言葉としては、かなり意外なところはあった。
だが、新作アルバムに向けてのコメントの中で、従来の双葉双一像からの脱却を意図する内容が刻まれており、従来の像から外れる世界も含めて表現していく宣言がされていた。
ヘルマン・ヘッセの『デミアン』で言うところの、「アプラクサス」の像を志向しているのあろうか。
今まで「双葉双一の世界」の「表の世界」として表現していた世界は残しつつも、双葉双一の超自我が今まで抑え込んできた「裏の世界」も解放し、それらを含んだ真の全体世界を表現しようというものではないか。
楽屋をあまり見せない(若干ブログからは入ってくるが)双葉双一は、おそらくは歌を「言葉の飾り物」ではなく「音楽」として聴かれることを望み、陰で鍛錬に励んでいたであろう。
「天才」と自称しながらも、その像を崩さないように、陰で「職人」的な努力を重ねていると想像される。
偶然かもしれないが、ギターに関しては「職人」レベルを超える弾き手との共演が、かなり続いている気がする(結構勇気の要ることであるが)。
その中から、やはり音楽全体のクオリティを高めようという影響を受けていると思われる。
今回のレポで「歌がうまい」と褒めることができるかは分からないが、本人の希望する歌唱面から主にこの日のステージを振り返ってみたい。
「山麓にて」は、「三拍子で踊る~」で始まる曲であるが、双葉双一を初めて聴いた頃に比べて、曲の導入部分からの安定が感じられる。
その頃は、歌い始めの最初の部分の最初の音は音程より言葉を優先させていたように感じた。
今回は、一音目の立ち上がりがスムーズで、この日に向けての意気込みが強く感じられた。
歌唱面に関しては、前半はこの曲と次の曲がよかった。
特に、「さーらーばー」のサビと思われるあたりに、陰で歌い込んできたとも思われる安定感がある。
曲が終わり、頭を深く下げそのまま10秒ぐらいは静止する。
直感的に、「この日はこのスタイルで統一するのでは」と感じた。
最後の「アーアーアー」の部分には力強さも感じ、
「ワルプルギスの夜」と3拍子の曲が続く(裏拍がストロークで鳴り続けるので、いわゆる「ブンチャッチャ」ではないが)。
この曲も1曲目同様、音楽として消化しようと、歌い込んだ跡が見られた気がした。
ギター一本の演奏にかき消されがちだが、「ワルプルギスの夜」には結構音楽的には壮大な広がりがあり、歌うのは決して容易くはない。
だが、「俺とナオヤのロングトーン」のときより、オーケストラ感のある歌い方であったように思えた。
それにしても、第二回の「俺とナオヤのロングトーン」は誰が出るのだろうか。
今、人選の会議の真っ只中かもしれないが、楽しみではある。
「8月のほんの少し」は、高音ストローク主体の、比較的おとなしい曲。
ちょうど旬の8月にしては、涼しげな感じで、口笛も含め聴き心地がよい。
だが、この日はその前の2曲のような曲向けに喉を作りこんできたのではないか、とは少し感じた。
昔、筑紫哲也の「ニュース23」という番組で、ユーゴスラビアの空爆の現地ドキュメントを放送したことがある(当時は民放もよく見ていた)。
その中で、今でも忘れられない印象深い映像があった。
爆撃の空襲の雨の中、地下室まで響き渡る爆音。
その空間の中に、不似合いなピアノが置かれていて、爆撃のノイズと戦うかのように、ピアニストがベートーベンの月光のソナタ(多分)を演奏する。
打楽器のように不定期に入る爆音と、対照的な静かなメロディ。
「誰が」「なぜ」そのような演奏をしていたかのかも、もはやよく覚えていない。
だが、破壊的な環境音の中で奏でられる音楽を聴くたび、このときの映像がフラッシュバックのように甦ってくる。
この日、近くで大きな花火大会が開催されていたようだった。
3曲目が終わるあたりから、花火の音が大きくなり、飼い犬がいる家庭では「家の中に入れろ」と犬が騒ぎ出す頃合である。
それに合わせたかのように、「家の中で花火」が演奏される。
当然、この花火大会の晩につきづきしく、趣向を感じた客席から笑い声が漏れる。
もちろん、外は空襲のような爆音が鳴り響いている。
「君が思うような、かわいいのじゃないよ、家の中で花火、それは打ち上げ花火」という部分などは、一般人にはとても思いつかないスケールの大きさを感じさせる。
「1番でも言ったけど」と繰り返す趣向も、さらにユーモアが二度塗りされ、笑いを誘う。
なお、「台所で慎ましく線香花火」という部分が歌詞にあるが、実際はなかなかそうではないようだ。
居酒屋で線香花火をやった知人に拠れば、想像を遥かに超える煙が店中に充満して、こっぴどく店から大目玉を食らったとのことである。
もし、店内での線香花火大会を計画をしている人がいれば、注意した方がよい。
「わたしの人魚姫1」は、毎回のように聴いているが、飽きが来ない。
やはり、いろいろな意味でこの曲はよくできている。
調和の取れた美しい歌詞と、緩急がある割に程よいテンポで聴きやすい。
ハーモニカの後奏も聴き応えがあり(この日は普段よりさらに長い気がした)、2よりもバランスよく作られている。
最初に双葉双一を聴くなら、「タワーホテル」もよいが、バランスの点ではこの曲がお勧めである(「タワーホテル」の方がはまる要素があるが)。
お辞儀を長時間する代わりに手を振り、いったん舞台から退場。
結局、一言もMCを入れなかったため、途中のステージが終わっただけか分からず、アンコールの手拍子が始まる(こんなに早く終わるはずはないのだが)。
再登場しても、MCを入れずにアップテンポでギターが入る。
「手に捧げる歌」は、「リリリリーリリーン」という擬音語が音楽的には印象深い。
多少暴力的な表現か、と思わせる他の双葉双一曲にない歌詞であり(「鼻の穴を三つにしてやろうか」など)、否が応でも歌詞が印象に残る。
この曲も従来の双葉双一像からの脱却曲の一つと思われるが、もしかしたら古い曲かもしれないので何とも言えない(8/20に新曲と判明)。
「束の間の二日間」は、やはり歌詞の方を褒めるべきであろう。
ちょうど一年前の出来事を追憶する歌詞が、その当時の緻密な描写ではなく、現在の出来事の描写から憶測させる構造になっている。
「後悔クラブ」という絶望遊びの集会の描写は具体的だが、「ちょうど去年の昨日」などに何があったかについては多く語られていない。
聴き手の想像力を喚起させる優れた歌詞であり、これを聴くと本人の意向に関わらず、やはり歌より歌詞を褒めたくなる。
「夜の底」は、しっとりとした曲で、「束の間の二日間」とは逆の並びで、国立地球屋でも続けて演奏された。
女性側の視点で、より内面描写が豊かなので、移入した想いで聴くのであれば、こちらの方が前曲よりも合っているであろう。
「ハンカチはなくても大丈夫です」というMCがやっと入り、毛色の違う曲が演奏される。
泣ける曲ではなく笑える曲でもハンカチは必要かも知れぬが、ともあれMCがない緊張感からは開放される。
「ピクニック」は、さすが大阪、東京とは反応が違った。
東京が「クスクス」型の反応であるのに対し、大阪は「アハハハ」型(おまけに手を叩いて笑う)の反応が何度も返ってくる。
確かに、ジョンソンtsuや沢田ナオヤのムジカジャポニカのライブCDを聴いても、東京よりも反応が大きい(良い、悪いではなく、あくまでも「大きい」)。
特に、最後の部分の「あいーとへいわー」のところで、観客がしっかりコーラスするのは、東京のライブでは聴いたことがなかった。
この曲は、これが入って完成した気がする。
「人生やってこい(完全版)」も、観客の反応が大きい。
特に、この曲は「パチンコ行ったらあかんで」「自腹やで」など、大阪言葉がところどころに用いられており、そのあたりが反応を増大させているところはある。
この日一番の大喝采で、関西でのライブでは演らないわけにはいかなそうな曲である。
「こんなバカ騒ぎをまっていた(KBM)」は、カセットテープでは入手したが、生の演奏を聴くのは始めてである。
「バカ騒ぎ」とは言っているが、曲は落ち着いた雰囲気で、この逆説的な曲の付け方が「バカ騒ぎ」を冷静な目で見ている視点を強く感じさせている。
「待っていた」と言っている割には寂しげな内面を感じさせるが、いずれ深く掘り下げて聴いてみたい。
「後半ちょっと冴えていなかった」と述べていたが、それは聴いている方は感じなかった。
途中、「090-××××‐××××(実際は全部言った)」で有名な双葉双一でした、とMCが入っていたが、本人の本当の番号なのだろうか。
ファンから本当にかかってこないか、少々心配にはなった。
「ドラムレディ」で、いったんソロステージ終了。
後奏の最後のギターのハンマリングオンの連続が、どことなくドラムっぽさがあり、ギター一本でもこのように弾けるのだと感心した。
再度手を振り、ステージから消え、再度のアンコールの手拍子。
「恢復期」からは、先ほどのバンドのメンバーが再登場する。
だが、「四姉妹」のコスチュームはもう着替えた後であり、普段着姿での演奏であった(それでもどことなく関西風)。
双葉双一とジョンソンtsuとが、ギターを持って並んでいる。
双葉双一の曲をともに演奏できる喜びからか、この上なく嬉しそうな表情で双葉双一に微笑みかけるジョンソンtsu。
それを一部始終目にしながら、冷静な表情を全く変えない双葉双一。
対照的な二人が見つめあうこの瞬間こそが、おそらく、この日のこのステージ一番のハイライト場面であろう。
絵心でもあれば二人の王子のこの映像を残しておきたいところであるが、「10本アニメ」レベルの絵しか書けないのが残念である。
「恢復期」は、もともと幻想を感じさせるモードの和音展開であるが、安定したドラムとジョンソンtsuの高音域で豊かな音色の輝きを発するギターとの効果で、歌の世界の映像化をいっそう強くする。
個人的には、「耳の中を馬が走る」歌詞から、一定の速さで回転木馬が回り続ける映像が浮かび上がってきた。
「イン.ザ.ナイト.マイ.フェスティバル」は、この日一番の大曲であるが、レコーディング同様にジョンソンtsuのギターが入ったのは嬉しい。
もう少しボーカルの音量に音量を割いてもよいかとは感じたが、様々な技術を駆使したジョンソンtsuのギターは、力量の大きさと深さとを両方感じさせる。
曲は「タワーホテル」同様、サビ以外の部分は語りのような形式で歌詞が歌われている(なんと、13番まである!)。
ドラム・キーボードは、合わせにくそうにしていたところもあったが、バンマスのジョンソンtsuは、そのたびにメンバーに合図を送っていた。
後奏の間に、主役の双葉双一は退場。
当然、本人の再登場を求めるアンコールの手拍子が起こる(本日3回目)。
「今日は皆さん、かわいい格好してきてくれてありがとうございました」とのことで、アンコール開始。
「アンダースロウ」も、声の出具合がよくなってきたようで、よい演奏である。
調子のよさを自覚したのか、拍手が起こる前にメドレーのように「瞬き分の夜」が続けて演奏された。
「ウルスリ」で、本当に終了。
催眠誘導のように、映像的な言葉がギターストロークを背景にしてリフレインされる。
「タワーホテル」や「イン.ザ.ナイト.マイ.フェスティバル」と同じ、語りで大半が構成される曲だが、だいぶ毛色が異なる。
前二曲はサビっぽい主題があり、そこにそれまでの語りが収束され、独自の世界という液体の中にそれまでの言葉が溶け込んでいく感がある。
だが、「ウルスリ」はそれまでの言葉が、固体のまま最後まで残り、最後にそれが消化されない一つの形としてまとまってくるように個人的には感じた。
曲が終わりBGMが店内に流れるが、ステージ脇にしゃがみ込んだジョンソンtsuが、最後の最後までアンコールの手拍子を止めずにいたのが印象的であった。
終演後、せっかく遠路訪れたのでジョンソンtsuに話しかけたい欲求はあったが、そのまま帰ることにした。
舞台の上と客席と、一つの空間で、素晴らしい音楽に包まれていたことに満足すべきと、そう考えたからでもある。
東京にも(厳密には千葉だが)、ファンがいて音楽活動とブログの更新を楽しみにしている人間がいるということは、いずれ伝わることであろう。
国立(関西の方のために読み仮名を付けると「くにたち」と読む、昔清原と桑田がいた頃のPL学園が一回戦で進学校の都立国立高校と対戦したので有名、そのときはぼろ勝ち状態だったので清原まで投手をやった)で購入したCDしかなかったが、「四姉妹」系のCDも製作されればぜひ購入したい。
この日の総括を延べると、やはり長時間かけて来ただけのことはある(フェスティンガーの認知的不協和理論ではなく、本当に)。
二人の王子は、あまり楽屋を見せない美学を持つようだが、少なくとも片方の王子はPAやら厨房やら、楽屋側でも活躍している姿があり、それを見ることができた。
国立(くにたち)ではプログレ系音楽で一つの完成系を持っているかと思われたが、音楽面でも技術面でも多方面への可能性を持っていることを知らせてくれた。
両方の王子ともに、今後の活躍を祈りたい。
翌日の帰りは、京都経由ではなく亀山経由で名古屋に出る。
去年、富山で乗ったトロッコ列車(一般のではなく砂防ダムの見学用の工事用の車両)と同じような森の中を突っ切る、大自然が堪能できる経路であった。
大雨が降ると、陸の孤島に取り残されそうなスリルがあった。
滝本晃司と知久寿焼がよく共演する「月の庭」を見ようと思ったが、場所が分からず駅に引き返す。
帰って調べたら、もう少し先に行けばあったようである。
帰りは12時間ぐらいかかった気がするが、よく眠った。
青春18切符のシーズンに、京都でもまた二人の共演があるようだが、さすがにこれに足を運ぶのは難しそうである。
8/20の代官山で、まずは次のステージを楽しむことにしたい。