路上ライブの開始時刻は午後6時。
夏至に近い時期なら、まだ日は沈んでいない。
明るいから、子どもたちも出歩いている。
とはいえ梅雨の晴れ間でないと、路上に出られない。
だから子どもたちに路上で聴いてもらえるチャンスは少ない。
この日はアンプが不調だった。
暑さのせいか、とっとのコンディションもよくなかった。
だが、それでも子どもたちは群がってきた。
立ち去ろうとする母親を渾身の力で引き止めた子もいた。
その子は、ついに粘り勝ちして一曲聴くことができた。
子どもたちは曲に合わせて手拍子を打ち、踊り出す子もいた。
聴き終えたあと、ノートと鉛筆が差し出された。
ノートを持っていない子は、チラシを裏にして出す。
とっとは一人ずつ名前を訊いて、サインした。
表現というものの本質について考えさせられる出来事だ。
演奏は良い出来でなかったのに、子どもたちは足を止めた。
それは、伝わるものがあったからだ。
――感動を伝えること。
それこそが表現活動の目的だ。
センス、技術、知識、理論……それらは手段にすぎない。
そればかりを追い求めても、頭デッカチな表現にしかならず
人に感動を伝えることは出来ないだろう。
ただ、本当ならベストの状態を保って欲しかった。
子どもたちの感動も、より大きくなったろうから。
