夏の遅い午後、この古い宿場町に辿りついた私は、瞬時にしてその魂を、三百年前の旅人とすり替えられてしまった。
江戸時代からここで問屋をつとめてきた古い家屋に足を踏み入れる。コチコチと時を刻む柱時計。それ以外はもの音ひとつしない静まり返った空間に、数百年もの間、閉じ込められてきた時の香りが漂っていた。
木曽山脈と飛騨山脈の間を木曽川が刻む深い渓谷。その間を縫うように走る一本の道筋が、木曽路である。
中山道は江戸から京に入るまで、六十九の宿駅を数えるが、木曽路はそのうち、贄川から馬籠までの十一宿を辿る道のりだ。その二番目にあたる奈良井は、中山道有数の難所、1197メートルの鳥居峠を控え、標高940メートルの高所に位置する宿場町だった。「奈良井千軒」と呼ばれ木曽路一の賑わいを見せたここは、いまも、中央線の奈良井駅から鳥居峠への上り口にある鎮神社までの約一キロに渡って、二百三十軒余りの町家が並んでいる。
その町並みは、天保8(1837)年の大火の後に再建されたものとほぼ変わらず、昭和53年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。長い年月、風雨にさらされてもなおこれほどの趣を放つ佇まいは、地域住民らの絶え間ない努力によって、大切に守られてきたのである。
20数年前、私が最初に奈良井を訪れたのは、駒屋というお団子屋の、お客さんに正しいお団子の食べ方を教授するユニークなおじいちゃんに会ってみたいと思ったからだった。
店の小窓にかけられた暖簾から、おじいちゃんが「いらっしゃいっ」と顔を出すことはもうないけれど、奈良井はいつ来ても変わることがない。町のそこここに、住む人たちの飾らない生活のひとコマがある。友達とじゃれあいながら家路に就く子供たちや、玄関先で赤ん坊をおぶいつつ通りを挟んで話すおばあちゃん。移動八百屋のお兄ちゃんと世間話をする主婦たち。まるで自分が子供だった昭和の頃の、何気ない日常風景。
そんなゆるやかな時間の流れに身をゆだねていると、都会の喧騒に行き場を失っていた私の心が、少しづつほぐれてゆくのだった。