江戸時代の交通拠点 あった場所
阿波藩により、徳島県内には、駅路寺が次の場所に設置されていた。
鳴門市 木津
上板町 引野
山川町 川田
三加茂町 中庄
池田町 佐野
阿南市 桑野 ← ← ← ← ←
日和佐 山河内
宍喰 現廃寺
江戸時代の道しるべ あった場所
阿波藩により、阿南市内では、一里松が次の場所に設置されていた。
宮倉 岡 明谷 桑野 下福井動々原 小野
現代でも、阿南沿岸部以外の徳島県民は、かつての駅路寺や一里松のコースどおりに動いている。
徳島県で交通拠点がこれ以外に形成されるのは、自然状態ではありえないこと。
富岡に圏域の拠点があった昭和時代だけが、異質な状態に過ぎないという視点を持つべきだ。
沿岸部中心論・富岡中心論の拠り所とはなんなのか? その一つといえるだろう牟岐線は役割を負え、またもう一つの、稼ぎ頭の大黒柱は沿岸部の工業から内陸の文明・日亜化学に。そしてまた、客観的に国が設計すれば高速道路も長生を通る。
交通ハブや阿南の中心機能が、それでも富岡になければならないとする人は、その根拠はいったい何なのか?
県南部全体から望まれている自負、白目で見られてない自信はあるのか?
いまこそ、県南部に対して明快に説明しなければならない。

