このたび新野町の平等寺で、「竹曼荼羅」というイルミネーションがスタートしました。LEDメーカー日亜化学の発祥地 新野、および竹産地の新野。そこで開設された電飾、という二重に大きい意味があります。

 

 

 それを、どういうわけか、新野町をLEDとは結びつけようとせず、竹のみしか結びつけない報道や発信が目立ちます。

 

 上の読売新聞徳島版の記事もそのひとつです。本文を見ても、竹と新野の関係性には触れられていますが、光・LEDと新野の関係性には触れていません。

 

 


 以下の画像の通り、平等寺 様自身がYouTubeやホームページ上で、新野町と光産業のつながりに触れています。

 

 

 

 

 

 

 当事者が発信しているのに、こんな大きい意味を、なぜ結びつけようとしないのでしょうか?

 

 常識的に考えれば、現代では、竹よりLEDのほうが、新野と結びつける大きい要素ではありませんか?

 

 「竹と光のまち、阿南」。その本拠地・代表地が新野です。

 

 徳島県の大黒柱を作った アラタノ のイルミネーションですよ?

 

 これ、阿南市の象徴 じゃないんですか?

 

 これ以外に、阿南市内で、光の象徴にふさわしいものがあるのでしょうか?

 

 

 これ、洗脳なんです。印象操作に踊らされているんです、マスコミ人ですら

 

 LED=牛岐城址公園 という間違った常識を信じ込まされているのです。富岡勢に、阿南市に。

 

 LED=アラタノ という真実 が知れ渡ると、不都合なのです。不公正に富岡プッシュを続ける阿南市には。

 

 

 

 阿南市は、ウソだらけだ。

 

 牛岐を阿南の象徴とする理屈に、どれだけの意味があるのでしょうか? 市役所に近いというだけで、持ち上げられているだけですよね?

 この市の観光部門、観光を扱う各種団体は、アナンの真骨頂を求め見に来た観光客に、真摯に向き合っていると言えるでしょうか?

 

 このさき、平等寺を含む四国八十八箇所が世界遺産になったとしても、この市は盲目的に 富岡ローカル名所でしかない 牛岐プッシュ を続けるつもりですか? どんなお笑いでしょうか。

 

 ”行政が中心地にしたいエリア” や、行政の勝手な願望ではなく、事実に基づいた値打ちのあるエリアにこそスポットライトが当たり、繁栄すべきである。

 

 だいじなのは、阿南市の維持であって、富岡の維持ではないのだ。

 

 

 

 まさに、以下の主張を証明できる根拠の一つとなりました。

 

 

 この阿南市を代表するイルミネーションをつたえるマスコミの方、個人の発信者さま。真実を正しく発信し、スポットライトを正しく当ててくださいますようお願い申し上げます。