江戸時代の徳島県の旧街道

 

 阿南以外は、江戸時代の移動コースが通用する

 江戸時代の道路地図。時代が違う、の一言で片付けなかれ。

 阿南市以外の、旧街道が通過している徳島のすべての市町村は、昔の道路コースがほぼそのまま、現在の交通で通用します。

 徳島自動車道は吉野川北岸の旧街道に沿って走っています。JR徳島線や国道192号線は、吉野川南岸の旧街道に沿って形成されています。高松自動車道やJR高徳線も旧街道に沿って作られています。

 それぞれ沿線の自治体の中心市街地も、旧街道沿いに作られています。

 徳島市~県南部の交通も、阿南以外は同じです。JR牟岐線も国道55号線も、阿南以外は、ほぼ旧街道である土佐街道に沿った形です。



 しかし、阿南だけ異質です。

 国道55号(阿南バイパス)もJR牟岐線も、阿南市だけは大きく沿岸部に迂回します。中心部とされる市街富岡も沿岸部です。

 しかし、今でも県南の人たちは、阿南市を通るときは長生町を走ります。阿南市内陸部住民も同じです。そこまでは人々を縛れないのです。県南部圏域の全体的な望みと、阿南行政の方針は乖離している



 富岡や阿南沿岸部の人は、沿岸部に主要な交通や中心部が存在することを、当たり前だと思ってはいけません。それは自然に形成されたものではありません

 阿南駅以南の牟岐線が使われない。市が関与せずに国が設計すれば高速道路は長生を選ばれた。最大手地図アプリ・グーグルマップは長生を誘導する。県南からすれば、必然なのです。彼らの望みは長生です。

 阿南市の発足以来、この市の歴史は、大河をせき止めて、本流の流れに反して遠回りさせた水路を作ろうとしてきた歴史なのです。