JR牟岐線 最初の案は、富岡を通らなかった

 

 最初の案は、長生町経由でした。

 ご存じでしたか? 阿南市内の牟岐線のコース案は、一番最初の案は長生経由でした。

 富岡や見能林を通過するコース案が登場したのは、長生案が登場してから10年も後です。

 それほどまでに、かつての富岡は、地域力がなかったのです。現代の姿だけを見て騙されてはいけません。



 しかも、この長生コース案を計画したのは、県北部の石井町の実業家です。

 長生などの内陸部自身の設計ではないのです。

 直接的な我田引水でなく、外部の客観的な目で見て、阿南は長生に線路が必要だ!と判断されたことが重要なのです。

阿南鉄道の計画は、古庄から長生を経由して新野を終点としていた

 時は変わって今、阿南市は、牟岐線を存続させ、阿南駅を守ろうと必死です。県南全体から期待される唯一の希望の星だとばかりに、駅前整備に躍起です。

 ですが、阿南沿岸部以外の日本人が、ほんとうに望んでいるのは長生経由の交通なのです。

 もしも長生経由の牟岐線が実現していれば、まだ延命の余裕はあったことだろう。



 いま牟岐線が苦戦している理由は、県南住民が長生経由の県道を選んでいるからです。

 牟岐線は県道に負けているのです。

 そして、高速道路にトドメを刺されるのです。

JR牟岐線、当初案は、長生町経由だ

 いまの牟岐線の存続に向けた議論は、こうした鉄道の成り立ち、そこから見える県南部のホンネがおざなりになっている。

 富岡勢、沿岸勢の無理のある願望「かつての昭和の活気を再び」的なノスタルジーが先行しすぎている。

 もはや、駅前をどうする? とかいう程度の話ではない。

 石井町の外部の目。県南で自然な移動体系である長生。それに抗う富岡経由の交通をなぜ無理に維持する理由があるのか? が焦点だ。

 重要なのは阿南市の維持であって、富岡の維持ではないのだ。