12年前、東日本大震災から3か月後の201161719日、釜石の奇跡(出来事)と報道された釜石市立釜石東中学校に支援活動に行きました。


岐阜から釜石市は走行距離にして約1000キロ。初めて行った時は道路が陥没してたり水没してたりで12間くらいかかりました。


619日に、被災した釜石東中学校の校舎から約500m離れた鵜住居地区の瓦礫の中から、学校の顔である「釜石東中学校」と書かれた校名板を偶然にも発見し学校に届けました。






最初はあまりにも遠いので詳しく調べずにとにかく東北へ向かったので、校名板を発見し復興釜石新聞の取材を受けた時点では、ここが釜石の奇跡(出来事)と報道された場所とは知りませんでした。岐阜に戻ってから知ることになります。


そして校名板発見をきっかけで東北へ通うことに。釜石を中心に、大槌、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻の方々と交流するようになり、数えれば今までで42回通っています。


釜石東中学校の卒業式の来賓として毎年出席したり


私の母校の千郷中学校の生徒たちと釜石東中学校の生徒を繋げたり







生徒たちを東北へ連れて行ったり



岐阜工業高校の生徒たちと被災地に光るエコ消しゴムを作りに行ったり



アンネのバラを被災地に届けたり





友人の柿農家のかっきーマンとハロウィン柿プロジェクトを行ってきました。





2019ラグビーワールドカップ釜石大会の際にはるかのひまわりを咲かせることができました。







その際、秋篠宮ご夫妻に直接お会いさせて頂き、20201月の歌会始では紀子様が釜石に咲かせた「はるかのひまわり」のことをお詠み下さいました。


20202月には日本テレビ系列「皇室日記」の『特集「歌会始」紀子さまが詠まれた「ひまわり」の秘話』に出演させて頂きました。



昨年からはウクライナの平和を願ってこの「はるかのひまわり」をみんなで育てています。まさかウクライナの活動に発展するとは。


防災士として、東日本大震災、阪神淡路大震災、熊本地震の記憶を風化させないため、また今後発生するであろう南海トラフ地震、気象災害にいかに備えて、命を守るか、防災意識を高めてもらうために各地で写真展や防災講演会を行ってきました。


ほんとに12年で人生が大きく変わりました。


あの忌まわしい震災が起こらなかったら東北の皆さんとは知り合うことはなかったですし、あの時校名板を発見していなかったら今の自分はないと思います。


なぜ私が1000キロも離れた釜石に初めて行って、釜石の奇跡(出来事)の釜石市立釜石東中学校とも知らないのに、瓦礫でぐちゃぐちゃな中から校名板を発見したのか?


偶然なのか?奇跡なのか?何かのお導きなのか? 何とも不思議な出来事です。


震災で亡くなった方々の 私たちみたいに命を落としてはならないよ””この震災の出来事を伝えてくれというような想いを託されたような気持ち(勝手な思い込みかも知れませんが)で防災・減災活動を続けてきました。


先日も日本防災士会 会長、全国郵便局長会顧問の浦野会長と面談し、今後の活動に関して打ち合せをしました。



行動することによって、人と出会うことによって、自分では想像もしていなかった広がりになっています。


これからも引き続き活動していきますのでよろしくお願いしますm(__)m


写真家・防災士 三浦寛行

https://www.facebook.com/jounetsucameraman/