怒鳴るとは、「大声で呼ぶ」「大声で叫ぶ」ことだと記載されています。
要するに、怒鳴るには明確な意味があるということです。
未だ蔓延る「怒鳴りまくる指導者たち」は、そこにどんな意味を込めているのだろうか。
子どもに何を伝え、子どもにどんな変化を与えたいのだろうか…。
と、言うよりも、本当に意味があって怒鳴っているのだろうか。
誤解を恐れずに言うならば、
殆どの指導者の怒鳴りは、
「ただの感情論に過ぎないのではないか」と思わざるを得ない。
何故なら、子どもは萎縮し、チームはバランスを崩し、そしてまた怒鳴られる。
指導者の感情に左右されることほど、子どもの成長を妨げられるものはない。
怒鳴ることが悪いのではない。
怒鳴ることにプラスの意味を持たせないことが「悪」なのだ。
私は警報を鳴らしたい。
若き指導者たちよ、もしあなたのチームの監督やコーチが怒鳴ったら、そこにどんな理由があるか聞いてみる必要がある。
これは、指導実践なのだ。
怒鳴られた子どもを慰めるのは、ただの自己満となる。
怒鳴った指導者に対して、怒鳴る意味や意図を聞くことこそ、「指導」なのだ。
それが出来ないあなたにはまだまだ子どものために戦う覚悟がない。
そして、指導者としての適性もない。
チームの指導、スクールの指導、全てまやかしだということを理解するべきです。
指導の本質は、チームやスクールなどといった誰かが作った主観的なものに捕らわれるのではなく、
その子自身の成長のみに特化するべきなのです。
意図や意味もなく怒鳴り散らす指導者と、
それを見て子どもを慰めている指導者は結局一緒なのです。
子どもの成長はそこにはない。
あるのはその子にとって「嫌なコーチと良いコーチ」という区別です。
若き指導者たちよ、
あなたたちには、子どもの成長と向き合う本気の覚悟がありますか。
あなたが重宝されているのは、目の前に大きなマイナスがあるからではありませんか。
真っさらな自分と向き合い、今を真剣に考えてください。
怒鳴り散らしている殆どの指導者が、感情論です。
怒鳴る、褒める、囁く…方法は何でもいいのです。
子どもの成長に特化した指導方法を持てる指導者にならなければ、あなたの順番はいつまでも回ってこないでしょう。
(画像はネットよりお借り)