サッカー選手の怪我とコンディショニングと指導者 | Jリーガー 安彦考真 オフィシャルブログ

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人生で一番輝く瞬間は、何かを達成したり、成功したりした瞬間ではない。人生が一番輝いている瞬間は「旅の途中」である。それは、その人の「生き様」である。
だから「チャレンジを応援し、失敗を否定しない」環境を作る。



サッカー選手に限らず、アスリートに怪我はつきものです。


と、私も思ってきましたが、

果たしてそれは本当にそうなのでしょうか。

サッカー選手やアスリートにとっての最大の敵は「疲労」です。


その「疲労」を感じたまま、身体を酷使することで、

怪我を誘発します。


「怪我」を治すことに必死になることは大切ですが、

「疲労」を溜めないように計画的にプログラムを組むことが最も大切なことなのではないでしょうか。


チームの「勝利」と選手の「未来」、

大切なのはどちらでしょうか。


選手はもちろんチームのために尽くしたいので、

怪我をしていても「やれます」と言うでしょう。

ただ、私はここにすら疑問を感じることがあります。

チームのために、「怪我をしていても頑張ります」は、

お国のために、「私は死ねます」と同義語になると思います。

そもそも間違った、この感覚が、

選手の未来を台無しにし、

その選手が指導者となり、

また間違った感覚で、目の前の選手を潰してしまうのです。


確かに大切な大会の時に、

何としてでもこの選手を使いたいと思うことは私もあります。

しかし、これは誰のどんな感情と誰のどんな利益を優先している考えなのでしょうか。

昨年、私がスポーツディレクターを務めている麻布大学附属高校サッカー部は、

関東大会、インターハイと神奈川二冠中でした。

年の初めに立てた大きな目標、「神奈川三冠」まであと1つのところまできていました。

そこで、中心的存在の「麻布の10番」は怪我を負います。

我々は本当に悩みました。

そこで我々が下した決断は、

「彼を後半から起用する」でした。

それは、彼のコンディショニングを優先した答えでした。

結果、準決勝でPKの末、敗退となりました。


高校生活最後の試合…。

だから何なんですかね。

もちろん最後の大会は大切ですが、

選手生命より大切なことなんてないと思います。


目の前の現象だけで選手を叱りつけ、

その子がどんなコンディショニングで、

どれだけの疲労を溜めているかという点については、

ほぼ無関心なのです。


このアマチュア指導者たちを何とかしなければ、

世界で活躍する日本人など育つわけもないのです。


「サッカー」や「人間」の、

客観的性質を理解せず、

その指導者の主観や経験だけで物事を判断するのは非常に危険です。


今頭の中にある指導は、

誰の何の理論を用いているのでしょうか。

あなたの経験は、いつのどんな時のものなのでしょうか。

何年も前には上手くいったことが、

この21世紀で本当に通用するのでしょうか。

大切なのは、

どこの誰よりも勉強し、それを取捨選択し、

実際に子どもたちをしっかりと観察し、

初めて指導の準備が整うのだと思います。


本物の医者が感覚だけで、人の命を救えると思いますか。


子どもに「罵声」を浴びせる前に、

己の「無知」に対して「罵倒」するべきです。


「20世紀型指導者」はもう終わりにしましょう。


最後に、

子どもの「やる気」を複雑にしているのも「20世紀型指導者」です。

子どもの「やる気」とは、

ものすごくシンプルで単純なものだという大前提を忘れないでください。

大人からみたらくだらないことでも、

子どもは無邪気になれるのですから。

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