たかが金といっても、不動産売買の借金と普通の借金(?)を併せて約2000万円は大きかったです。
借金の形に何処かへ連れていかれるか、臓器を抜きとられて川に捨てられるかされても、納得できる金額だと思います。
とりあえず、実家のある市内の各金融業者を訪ねて、借金総額を確かめついでに当月分を返済して回り、それからしばらくは家でも職場でも借金取りからの電話に怯えながら過ごして分かった借金の総額は、その時点で2400万まで膨れ上がっていました。わずか数か月で借金が2割増しは酷いですが、収入ゼロで当月の借金返済を借金で行っていたから、借金総額とその利息が複利扱いで膨れ続けていく理屈なので、当然と云えば当然の結果です。
問題ごとは対処するしかないため、勤め先が大きい会社でしたので組合等に相談し、とりあえず借金の1本化を図ったところ、その手続きが終わるまでの日数や、それまでに見つけられていなかった借金に、その延滞金等々も併せて、最終的には2850万の負債となりました。そのころには私も貯金がゼロになり他に財産もなければ、自分にも車の借金が残っている状態でした。
飲まず食わずで給与の全額を注ぎ込んでも、当時の手取りだと返済に20年はかかる計算で、普通にローンを組んだら50・60年は掛かる、ほとんど人生を詰んだような形でしたが、結婚していなければ子供もいない1人身でしたので、いざとなれば何処か遠いところへ逃げればいいかーと楽天的(?)に考えていました。
ちなみに母親は、母親の姉である伯母に「面倒を見る」と言われていて、どうでもよかったけれど甘えることにしました。日々の生活ぐらいなら遺族年金等で充分どうにかなったはずです。
それから、学生時代に付き合いのあった年上の人たちの伝手を使い、会社には内緒で副業に就きました。
その夜間の仕事で手に入れたお金を借金の返済に充てることで、今の生活を捨てずに生き残る道を探していました。
特に悪い仕事ではなかったと思いますが、あまり他人様に大っぴらに言える仕事ではありませんでした。
それでも収入=手取りとなる賃金はありがたかったです。
今もしも同じことが起きたとしたら、昼も夜も働ける体力はないので、まだ若いころで良かったと思っています。
同じころ、その副業がバレはしなかったけれど、家の問題や借金の問題から本社には置いておけないと判断されたのか(会社にも親からの嫌がらせ電話や、借金の問い合わせ電話が来ていました)、99キロほど離れた支部へと飛ばされました。
副業のため残業できなくなっていたので、ヒマな支部へ飛ばされたのは結果的にありがたかったものの、その副業のためには夜までに住処へ戻らなければならず、仕方なく往復4時間近い長距離通勤を続けることになります。
自分からは自分のことを話さないけれど、他から聞かれれば特に秘密もなく話してしまう性質なので、子供時代からこのころまでの話を他人に聞かれてすると、よく「不幸だ」とか「怖い」とか「もう聞きたくない」とまで言われますが、何せ幼いころからそれが日常でしたので、私自身は特に何とも思っておらず、もちろん「その貧しい体験が今の私の糧になっています!」などと前向きには絶対に考えられないけれど、特に自分が不幸だとは思っていなかったし、実は今でもあまり思ってはいません。
せいぜい、小学校へ入ったときと同様、周りよりは貧乏だったと思える程度でしょうか。
ただ、少し感情の揺り幅が他の人より小さいのは自覚していました。