僕は去年の9月から、住民票を奈良吉野に移し、吉野の家と大阪の家を行ったり来たりしています。
心斎橋で20年、阿倍野で5年。
世界屈指の大都市といわれる大阪のなかでも観光地と言われる地域での暮らしも四半世紀になりました。
僕が都会で暮らしていたのは孤独になるためだったので、いつかは都会を離れようと思っていました。
屋久島や、伊賀、若狭、瀬戸内海といった自然の豊かな場所に行ってみると、海の音や山の音、暮らしている人の音がたくさん聞こえてきて、その情報量の多さに圧倒され、何か、心が起き上がるのを感じ、僕があまり喜ぶので、奧さんが移住先をリサーチするようになりました。
吉野に決めたのは、僕が吉野木材を気に入って、吉野檜でピアノ椅子を修理したことがきっかけといえばきっかけです。
阿倍野から電車で一本だし、一度行ってみようかということになり、行ってみると、山も空も町も別世界のように美しく、これが大阪からたった一時間半で来られる場所とは思えないほどでした。
山と水の美しさは言うまでもなく、奧さんは、あちこちの製材所から煙がたなびいている様子が映画のようだと言いました。
鉄橋を渡る電車を見ると、なぜかなつかしい気持ちがわいてきます。
僕たちは吉野町の空き家コンシェルジュさんのおせわになり、吉野町に移住することに決めました。
9月以来、吉野でも、たくさんの人に出会いました。
吉野での僕の生活(というほど生活はしておらず、今はもっぱら家の掃除です)はなかなかにぎやかです。
吉野の空気を吸うようになって、僕は、自分の演奏がより自由に、変わってきたのを感じています。