こんばんは。ご来訪の皆さま、ありがとうございます。今夜の話は、つきのお祖父ちゃんの話です。お祖母ちゃんばかり登場するので、少しばかり登場して頂きます。お祖母ちゃんについてはよく登場します。それはソフトテニスですが、かなりの手練れだったからです。でもお祖父ちゃんも実はかなりのソフトテニスの手練れ。今夜はその話です。お読みいただければ幸いです。
お祖母ちゃんについては、
をお読みいただければ幸いです。よろしければ。
祖父と祖母
つきの家のお祖父ちゃん・お祖母ちゃん事情は、母方のお祖父ちゃん・お祖母ちゃんが1年前に他界しました。父方のお祖父ちゃんは7年前に他界。今は父方のお祖母ちゃんだけ。
母方のお祖父ちゃん・お祖母ちゃんは、スポーツあまり手練れではなかったようです。やることはやっていたようですが、観戦が主でしたね。バレーボールをよく観てたっけ。お祖父ちゃん。
父方のお祖父ちゃん・お祖母ちゃんは、2人して、日本体育大学ソフトテニス部で、手練れ。お祖母ちゃんは都内の高校教師(保健体育)でソフトテニス部顧問。お祖父ちゃんは、神奈川県内の高校教師(保健体育)でこれまたソフトテニス部顧問。そして、神奈川県ソフトテニス協会会長でした。
お祖父ちゃん。大分前に他界してしまったので、登場の機会なしで、お祖母ちゃんばかりがクローズアップされていましたが、少し天から降りてきて登場してもらいましょう。
バージャー病
父の父は、父が小学生の頃、バージャー病という特殊な病気を患ってしまいました。足の指が壊死してしまう病気。ひどいときは、脚の指の骨が見えていました。夜、痛さで眠れずにずっと歩き回っていたこともありましたね。
そんなんで、部活の顧問でもあまり動くことはできず、テニスをしている姿を見たことはありませんでした。 薬と痛さを紛らわすためか、飲酒で大きいおなかができてしまい、とてもスポーツができる感じではなくなってしまいました。キャッチボール等をしてもらった記憶はありますが、それも病気の関係で長くは続けられず。最後までその病気は治りませんでした。
衝撃のバッティング
バージャー病と太りで動けない父でしたが、何回か小学生の頃、私がソフトボールチームに入っていた時、見学に来てくれました。つきの父はサッカーをやる前は野球に夢中でした。一つの小学校に5チームくらい町内会でのチームがありましたね。小学校の代表になるのも大激戦。懐かしや。今はそんなことは決してないでしょう。
話がそれました。戻します。親子ソフトボール対決、みたいな日があり。チームメートの家族が相手となり試合が行われることがありました。丁度その日に、父も見学に来ていました。でも、頑なに出場は断っていました。足が悪いので走れませんから。
ただ、最後の方に、監督がどうしても打席にだけでも立ってくださいと、猛烈なアタックに負けて、ついに父は打席に。大丈夫かな。とセンターからみていた私。しかし、病気も太りも何のその。衝撃のバッティングが。
一振り。今でもはっきり覚えています。軽く内角の球を引っ張った打球は、一瞬でサードの頭上を越えてレフトを超えてもなお伸びる。バッティングフォームが今までプレーしていたお父さんたちとは明らかに違う。玄人のバッティングフォーム。凄い!本当に今でもはっきり瞼に焼き付いています。
ゆっくり歩いてファーストまで行って、交代。病気でなければ、どれだけ凄かったのか。いや、あれだけで十分です。日本体育大学ソフトテニス部。神奈川県ソフトテニス協会会長。伊達でなし。
天からの応援
つきがテニスを始める大分前に他界してしまったお祖父ちゃん。きっと生きていれば、お祖母ちゃんと同じくらい、つきがテニスを始めたことを喜んだでしょう。お祖母ちゃんの細胞が色濃く出ている今のつき。でも、お祖父ちゃんの細胞もつきの中で生きています。
つきの父は、だらしなく普通のスポーツ好きおじさんにしかなれませんでしたが。お祖父ちゃん、天からお祖母ちゃんに力を貸して、つきの成長を見守っていてくれることでしょう。
サラブレットの血。二代跨いで覚醒。これから始まる公式戦。つき、大丈夫。強力な味方がたくさんついているからね。全国行ったらお祖父ちゃんに報告するか。まあ、お祖母ちゃんが泣きながら真っ先に報告しそうだけどね。
ご来訪方、感謝申し上げます。ありがとうございました。
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