誰か有名な野球選手がホームランを打ったとする。
スタンドにむかって飛んでいくボールを
大勢の観客は歓喜の表情でキャッチしようと手を伸ばす。
その時、自分がこれほどまでみんなから賞賛される
スーパースターなんだと思う「ボール」がいるでしょうか?
そんなバカなボールはいないし、
そもそもボールは何も思わないし、
バカとか、賢いとか関係ない。
人間も同じだと考える。
ある国の王が、
王だからという理由で自分がその国で最も優れていて、
偉いのだと思うとしたら、その王はバカである。
いくら探しても仕事がなくて、
生活もままならない人が、
この世界で自分にできることは何もなくて
誰からも必要とされていないと思うなら、
その人はバカである。
こういうバカな思い込みは、
実は大昔から今に至るまでずっと続いている。
人間の頭の中に入り込んで、隅々にまではびこっている。
そして人間を迷わせる。
歴史を変えるような大きな出来事の原因となることもあれば、
生活の中で人間が思い悩んだり間違いを犯したりする
原因になることもある。
いわば、人類の『不治の病』と言っていい。
その病の原因は、
自分は自分だ。と、思ってしまうことである。
あたりまえじゃないか。自分は自分だと思って何が悪い?
と、おっしゃるかもしれない。
だが、本当は自分は自分じゃないのである。
自分は、自分じゃないあらゆるものが入っている
単なる入れ物なのである。
たまたまお母さんとお父さんの間に生まれ、
たまたまそういう顔かたちに生まれ、
たまたま今の時代に生まれ、
たまたまいろんなサイズや形や特質を持って生まれた、
それはそれは素敵な入れ物なのである。
有名な野球選手に打たれる前には、
何の変哲もなかったただのボールが、
打たれた瞬間に「栄光のホームランボール」
という中身をもつのと同じように、
人も、100%可変であり、
100%偶発的であり、
100%出し入れ自由である。
つまり、自分とは、
入ってくるものによって、何がどうなるか分からない
『入れ物』なのである。
自分は自分だ!
と、思っている人が突然上記のようなことを自覚する時がある。
それは、突然の悲劇に見舞われた時、
突然の幸福がやってきた時、そして、
たったひとりになった時。
突然の悲劇や、突然の幸福は、
人の中身をそっくり入れ替えてしまう。
「昨日までの自分は、今までなんだったんだろう。」
姿かたちは何も変わらないのに、
まるで中身が丸ごと別のものに
入れ替わってしまったような状態になって
嫌でもそのことを自覚することになる。
そして、ひとりになった時も同じことが起きる。
自分と向かい合い、本当の自分とは何かを
とことん掘り出す作業をしていくと、
自分の本当の姿が見えてくる。
それは美しくもなく、醜くもなく、
正しくもなければ、間違ってもいない、
自分という透明な入れ物である。
それが見えたなら、
その入れ物の使い方は自然にわかる。
それがインナー・レボリューション。
最近の、マイブームです。