先生が出題された比較的簡単なシチョウ問題のプリント。
白、黒、白、黒、白・・・目で追うことを通勤時間に繰り返していました。
かなり進めるようになって、「石の残像」がほんの少ぉし頭に残るようになる。
シチョウは一本道ですから、頭の中で黒石と白石をイメージできればいいですからね、まだ頑張れる。
しかしながら、疲れるのは疲れる。
で、「気晴らし」に、同じプリントにあった詰碁の問題を見ていました。
えぇぇっと、ココに黒が打つと、白はココに打つ・・するとココだから、白はこうか・・・だから黒は・・・
あれっ!!??
「シチョウを目で追う」効用は恐ろしいもので、詰碁においても、黒石、白石が「あたかもそこにあるように」
イメージできるようになる・・・ような気がした。
今までだと、5手くらい進むと、1手目をどこに置いたかがわからなくなったりしたのが、一手目の黒が、
「ソコにあるのが見えてくる」という感じでしょうか。
あ・・・∑ヾ( ̄0 ̄;ノ !
囲碁上達には、やることがいっぱいある。
いっぱいありすぎて、何がなんだか分からなくなったりする。
でもイロハのイは何かと言えば、ほんっっとに今さらながらですが(しつこく繰り返しますが、今さらながらです)
置いた石が、「頭の中の碁盤」にキチンと置かれるようなイメージを訓練をすることではないかと。
「読み」というのは、この置かれた石があるから可能になるわけで・・・。
では、「頭の中の碁盤」に石を置く訓練を日頃からしていないとどうなるのか?
感覚で打つようになります。感覚だけで打つようになってくる。
たとえば攻め合いになって、石が置かれている状態をイメージするのは、一手や二手ならまだしも、数手先までとなるとかなり疲れる作業になる。
だから、次第に面倒になって、「多分ココかなぁ」ってな感じになるのですね。
ところがです、人間の脳の働きというのは恐ろしいもので、対局を重ね経験を積むと、この「感覚」も結構な確率で正解だったりする。
これが、その後の壁をつくりあげる大きな要因になるのです・・・(多分です)
10級くらい・・・もう少し上かな・・・までなら、対局数を増やすだけで、この「感覚」が自然に身についてそこそこ打てるようになるのだと思います。
19路盤で打てるようになって、「感覚」でなんとか一桁級くらいまではいけるようになる。
ところが、そういう「ラクをするクセ」がついてしまうと、もう「読む」のが面倒になる。
っで、気づいた時には壁がそそりたつ。
最初に言いましたが、ボクと同じように2年くらいの経験で、自分でも勉強をしているつもりの方が、
なかなか前に進めないと感じているならば、それは最初にシッカリとやらなければならなかった「石が置かれているイメージを作り上げる」ことができていないのではないかと思うのです。
3度目ですが、「何を今さら」です。
しかし、気づいていない人が結構多いように思うんですけどね。
そのためには、シチョウの簡単なのを「目で追う訓練」・・・なかなかいいと思います。