長らく更新していなかった。
前回が良いお年をお迎えください、で終ってるからほぼ1年です。
放置にもほどがある。
にも関わらず管理画面に入ってみると、毎日一定の方が読まれているいようです。
これはきっと囲碁を始めたばかりで、熱意はあるのにちっとも進歩しない人が、藁にもすがるような気分でココを見つけられたのかと思います。
で、残念ながら藁よりもすがる価値のない記事だと気づくのに時間はかからなかったと思います。
すみませんねぇ、いやホントに。
アマチュアの囲碁の核心は強くなることではなく楽しむことにあり、強くなるのは楽しむための一つのスキルに過ぎないのは前回書いた通りです・・・が、楽しむ環境をつくるのは強くなるよりも困難であることもまた事実かもしれないと思うこの頃です。
実はずーーーっと書いていなかったわけではなく、下書きまでしてアップしていない記事が多いのです。
なもんで、古い話になりますが、以下、下書きをアップしていきます。
これは4月に書いていたものです。
NHK囲碁トーナメント決勝戦。
井山NHK選手権者VS一力遼八段。
治勲さんの解説と見逃しを長島梢さんが咎めるヤリトリに爆笑してしまった。
が言いたいのはそこではない。
棋譜が無いので伝わるかどうか自信が無いのですが後半です。
井山さんが右辺下にケイマにすべった一手に対し、治勲さんがこのように言いました。
あ、そこが大きいのかなぁ・・・?下辺の方がずっと大きいように思うけどね・・・?
長島梢さんも同様に、下辺が大きく空いてますもんねぇ・・・?と同意します。
続けて治勲さんが、井山じゃなきゃ、馬鹿、オマエどこ打ってんだ!何考えてんだ、と言うとこだよね
井山が打つと、ほほぉ、そうですか・・・となるね、とユーモラスな口調で解説しました。
かつて谷川浩司さんはインタビューで、
「将棋の世界は信用がものを言う。
通常は悪手とされる手でも谷川が指せば羽生が指せば何かあると思わせる。
勝負はその信用の奪い合いと言える。」
と語っています。
考えてみれば上手と打つ時、上手は間違わないと無意識のうちに思ってしまう。
結果、キチンと打てば殺せる石を生かしてしまったり、逆に生きている石が殺されたりする。
打つ前から相手に呑まれ、「手が縮む」ということになる。
信用の奪い合い、勝負事というのはすべからくそうなのかもしれない。
なるほど!と感じ入り、
稽古会(注:タカボン幹事の囲碁会)で上手と打つ時は、こいつぁもともと信用のできないヤツだと思うことにした。
・・・しかし、信用のできないヤツが世の中にのさばることもあるのを実感する。。。
情けない(涙)