ココロの本棚 2 「太宰治」 | 囲碁初心者の奮闘記

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日々揺れ動く、心の記録です。

本はよく読みます。


数ある作家の中で、ボクの人生に決定的な影響を与えたのは太宰治でした。


中学三年生の時に「人間失格」に出会い、読み終えた時は茫然とし、風景までが変わるほどの衝撃を受けました。ボクはこの1冊をきっかけに、亀井勝一郎や坂口安吾といった作家と出会い、やがてフロイトへと傾斜し、さらに合気道を習い始めるというところへ帰結していきます(この一見バラバラな行動の経緯は、キチンと説明できるのですが、長くなるので省きます)。


本というのは、カラカラに乾いた地に水が吸い込まれるように心に入っていく年代や瞬間というのがあり、そしてボクは、「心の純度」が極めて高い年代に、これ以上ないタイミングで太宰治に遭遇しました。


この作家は、青春期(思春期)における「通過儀礼」のような人で、一度「噛まれる」(衝撃を受けて心に深く入り込まれるのをこう表現する人が多いです)と、寝ても覚めても太宰、太宰と心酔し、ふっと我にかえる年齢になり、穏やかに離れていくか、逆にどうしようもない嫌悪感を抱くという、良しにつけ悪しきにつけ「無視」して通りすぎることのできない「偉大な人格の壁」を内包しています。


たとえば、三島由紀夫が、三鷹の自宅を何度も訪ねるほどの太宰の心酔者だったのが、ある時を境に「彼の悩みなどは、毎朝ラジオ体操でもすれば解決するものだ!」と言ったのは有名な話です。


北杜夫も「どくとるマンボウ青春記」で、友人にあてた手紙が、太宰の文体そっくりになるほど心酔していたのが、これまたある時を境に、太宰の生き方について非難めいたことを書いています。

逆に田中英光などは、太宰の死後に墓前で自殺するというまでにその人格にのめりこむ。


余談ですが、庄司薫が「赤頭巾ちゃん気をつけて」で鮮烈なデビューをはたした時、三島由紀夫は「日本にようやく本格的なユーモア小説」が誕生したと激賞します。


しかし、太宰治が生きていれば全く新しいユーモア小説が、日本で誕生したことはほぼ間違いなく、三島由紀夫の激賞には、微かでも太宰の作品群にある「含羞のユーモア」とでもいうべき表現方法をこの作品の中に見出していたのではないかと勝手に推測しています。



今、この年代になって、太宰治の本を薦めるなら「津軽」という作品がいいですかね。

これは、彼の精神が安定期にはいった頃のもので、明るくも希望を感じさせる作品です。

非常に読みやすい文体文章です。


もし、10分程度の時間があるなら「眉山」をお薦めします。

人の持つ無垢な純粋さに、ため息が出る超短編です。



ボクが太宰治という作家と「距離をおき始めた」のは、20代も後半になった頃でした。

それは学生から社会人となり、「汚い水も飲まねばならない時もある」ことを痛感した頃と一致します。


そう考えると、太宰治という作家は、自分の「青春の季節」の始まりと終わりを知らせてくれる・・・そんな稀有な作家なのかもしれません。