アビヤーサとヴァイラーギア、持続的な内側の実践と離欲
これがパタンジャリのヨーガの2つの基本原理だ。
持続的な内側の努力が必要なのは、なにかを達成しなければならないからではなく、間違った習慣があるからだ。この闘いは本性との闘いではない。この闘いは習慣との戦いだ。本性はあなたの内側にあって、いつでも流れようとしているが、それとひとつになろうとするとき、あなたは間違った習慣のパターンがある。
これらの習慣が障害をつくりだす。この闘いはこれらの習慣との闘いだ。それが打ち破られない限り、あなたに内在する本性は流れられず、動けず、みずからの天命に達しえない。
だから最初に覚えておくことーーー
この闘いは本性との闘いではない。この闘いは間違った生い立ち、間違った習慣との闘いだ。あなたは自分自身と闘っているのではない。あなたは自分に付着した他のなにかと闘っている。このことが正しく理解されないと、あなたの全努力が間違った方向に行きかねない。あなたは自分自身と闘いはじめるかもしれない。自分自身と闘い始めたら、あなたの闘いに勝ち目はない。あなたは決して勝利できない。
だれが勝利し、誰が敗北するのか?
というのも、あなたはその両方だからだ。
闘っている者と闘いを挑んでいる相手は同じだ。
私の両手が闘いはじめたら、だれが勝利するのか?
自分自身と闘いはじめたら、あなたはお終いだ。
そして実に多くの人たちが、その真剣な努力のなかで、
精神的な真理の探究の中で、この過ちを犯している。
彼らはこの過ちの犠牲者になる。
自分自身と闘ったら、あなたはもっと狂っていく。
あなたはもっと分断されていき、分裂してしまう。
あなたは分裂症になる。
これが西洋で起こっていることだ
キリスト教は教えたーーー
キリストではなくキリスト教が教えたーーー
自分自身と闘い、自分自身を非難し、自分自身を否定することを
キリスト教は低いものと高いもののあいだに巨大なさけめをつくりだした。
あなたの中に低いものも高いものもないが、キリスト教は低い自己と高い自己、または肉体と魂について語り、結果的にあなたを分割し、闘いをつくり出す。
この闘いは際限のないものになる。
それはあなたをどこにも導かない。
最終的には自己破壊、分裂症的な混乱にしか行き着かない。
それが西洋で起こっていることだ
ヨーガはあなたを分割しない
だが、それでも闘いはある
この闘いはあなたの本性との闘いではない。
むしろ反対に、この闘いはあなたの本性のための闘いだ。
あなたは多くの習慣を身につけている。
こういった習慣は多くの生の間違ったパターンの結果だ。
この間違ったパターンのおかげで、あなたの本性は自然に動くことができず、自然に流れる事ができず、その天命をかなえることができない。
これらの習慣が打ち壊されなくてはならない。
それは習慣にすぎない!
あなたはそれに中毒しているから、あなたに本性のように見えるかもしれない。
それに同化しているかもしれないが、それはあなたではない
この区別を心の中ではっきりさせておかないといけない。
そうでないと、あなたはパタンジャリを誤解するかもしれない。
外側からあなたの中に入ってきたもので間違ったものは打ち壊されなければならない。
あなたの中にあるものが流れ、開花できるうように、
アビヤーサ、持続的な内側の実践は、習慣との闘いだ。
その第2、第2の基本原理はヴァイラーギア、離欲だ。
これもまたあなたを間違った方向へと導きかねない。
そして注意すべきことは、これらの規則ではなく
ただの道しるべだということだ。
それらは規則ではないというとき、私が言おうとするのは、あたかも脅迫観念のように、それらに従ってはいけないということだ。それは理解されるべきだ。その意味が、その意義が。
そして、その意義があなたの人生に持ち込まれるべきだ。
それは各人違ったものになるだろう。
それは固定した規則ではない。あなたはその意義を理解し、それが自分のなかで育つようにすべきだ。
開花は個人によって違ったものになる。
だから、これは死んだ教条的な規則ではなく
道しるべにすぎない。
それは方向を指し示す。
それはあなたに細かな規則を与えない。
それで思い出したが、
あるとき、ムラ・ナスルディンが博物館で門番をしていた。
その仕事を任された日、彼は尋ねた「どんな規則があるのですか?」そこで彼は門番が守るべき規則書をもらった。彼はそれを暗記した。細かな規則も忘れないように頭にたたき込んだ。
そして仕事の最初の日、最初の入場者がやってきた。ナスルディンは入場者に言った。
傘は門の外に、自分のところに置いていくように、と。入場者はびっくりした。その人は言った。
「でも、私は傘なんて持っていないませんよ」
するとナスルディンは言った、「でしたら、あなたは戻らないといけません。傘を持ってきてください。というのも、置いていかないと中にはいれないのです」
規則に取りつかれている人たちがたくさんいる。
彼らは盲目的に従う。
パタンジャリは、あなたに規則を与えようとしない
彼の言うことはいずれも道しるべにすぎない
従うのではなく、理解されるべきだ。
従うことは、その理解から生まれてくる
その逆はありえない。
規則に従えば、理解はうまれてこない
規則を理解したら、遵守はひとりでに影のようについてくる。
離欲は道しるべだ。
それに規則のように従ったら、あなたは自分の欲望を殺すようになる。
多くの人がそれをやった。何百万の人がそれをやった。
彼らは自分の欲望を殺すようになる
もちろん、それは公式通りだ、理にかなっている。
離欲を達成しようとしたら、それが最善の方法だーーー
すべての欲望を殺せばいい。
そうしたらあなたは欲望がなくなる
だが、あなたも一緒に死んでしまう。
あなたは規則に忠実に従ったが、すべての欲望を殺す時
あなたは自分自身を殺している。自殺している。
というのも、欲望は単に欲望であるだけでなく
生命エネルギーの流れだからだ
離欲はなにものも殺すことなく達成されなければならない
離欲はより多くの生命、より多くのエネルギーと共に達成されなければならないーーーより少しではなく。例えば、肉体を飢えさせたら簡単に性欲を殺せる。なぜなら、性欲と食べ物は深くかかわっているからだ。食べ物はあなたの生存、個人の生存のために必要なもの、セックスは種族の、種の生存のために必要なものだ。食べ物がなければ個人は生き延びられない。
セックスがなければ種族は生き延びられない。
だが、個人が基本になる
個人が生き延びられなかったら、種族の生存は問題外だ。
だから肉体を飢えさせたら、肉体のほんの少しの食べ物しか与えずそれでつくられたエネルギーを、歩いたり、座ったり、眠ったりといった日常的な活動に使い切ってしまい、余分なエネルギーを残さないようにしたら、性欲は失せてしまう。というのも、セックスは個人が余分な生存に必要とされるエネルギーを集めた時に初めて存在できるからだ。
そのときには肉体は種族の生存について考える事ができる。あなたが危険にさらされたら、体はセックスのことなどあっさり忘れてしまう。
断食がこれほどもてはやされるのはそのためだ。
断食をしたら性欲は消え失せてしまう。だが、これは離欲ではない。さらに死んだようになり、さらに活力を失っていくだけだ。インドの僧侶たちはまさにこの目的でひんぱんに断食をし、年中飢餓療法のようなことをしていると、性欲は消え失せてしまうからだ。
ほかにはなにもならない
心の変容も、内なるエネルギーの変容も
ただ飢えるだけ。やがてあなたは飢餓になれてしまう
そしてこれを何年もやったら、あなはたセックスの存在すら忘れてしまう。
エネルギーがつくりだされない。
エネルギーは性中枢へと動いていかない
動いていくエネルギーがない!
その人は生きながら死んでいるようなものだ。
そこにセックスはない。だが、これはパタンジャリが言おうとしていることではない
これは離欲ではない、それは不能の状態にすぎない。
そこにはエネルギーがない
体に充分な食べ物を与えたら、あなたが30年も40年も体を飢えさせてきたとしても、たちまちセックスが再現してくる。
あなたは変わっていなかった。
では、なにを判断基準にしたらいいのか?
この基準を覚えておきなさい
より生き生きとし、よりエネルギーにあふれ、活力にみなぎり、そして無欲になることだ
離欲があなたをもっと生き生きとさせるなら、そのときにのみ、あなたは正しい方向に進んでいる。それがあなたを死人のようにしかしないなら、あなたは規則に従っているだけだ。
規則に従うのは簡単だ。いかなる知性もいらない。
規則に従うのは簡単だ。ちょっとしたごまかしでもそれはできる。断食はちょっとしたごまかしだ。それは大した中身がない。そこから知恵は生まれてこない。
~略~
経文に入るとしよう。
最初にーーー
ヴァイラーギア、離欲の始まりの状態とは、意識的な努力によって、感覚的快楽を欲しいままに求めるのをやめることだ。
多くの意味が含まれている。それらが理解されなければならない。
ひとつには、感覚的な快楽にふけることーーー
どうして心は、いつもなにかに耽溺しようとするのか?
どうしてあなたは、いつもいつも同じ耽溺のパターンに陥るのかを?
パタンジャリにとって、そして知ったすべての者たちにとってあなたの内側が至福に満たされていないことがその原因だ。
だから快楽を求める欲望がある。
快楽指向の心があるのは、今のままでは、今の状態では、あなたは不幸だからだ。
あなたがどこか他に幸福を求め続けるのはそのためだ。
不幸せな人は欲望に走るしかない。
欲望は不幸せな心が幸福を求めるやり方だ。
もちろん、この心はどこにも幸福を見つけられない。
いくつか一瞥を得るのが精いっぱいだ。
こういった一瞥は快楽としてやってくる。
快楽とは幸福を垣間見ることだ。
そして間違っているのは、この快楽を求める心が、このような一瞥や快楽はよそからやってくると考えることだ。
それは常に内側からやってくる。
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