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和尚
和尚 1931年印度のクチワダに生まれる。21歳の時、エンライトメント(光明)---人類意識の究極の開花を得る。ジャバルプール大学で哲学教授を務めた後、インド国内及び世界を旅し講和を行う。1974年インド・プネーにコミューンを設立f。1990年肉体を離れる。古今東西の瞑想法、最新のサイコセラピーを自在に駆使し、人類意識の覚醒に努める。その講和録は650冊以上、世界40カ国以上で翻訳されている。
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和尚)
アーサー・ケストラーがある実験について書いている。それに瞑想してごらん。
非常に独創的な一連の実験が、スタンリー・ミルグラム博士によって始められた。この実験の目的は、平均的な人間が崇高な動機のために、無実の犠牲者に対して激痛を与えるよう命令されたとき、どこまで権威に服従するかを発見するためのものだった。
その崇高な動機というのは教育だった。この実験には3人が関わっていた。一連の出来ごとを司る権威者としての教授と学習者である犠牲者がいて、被験者は、教授から学習者が答えを間違うたびに罰を与える教師を演じるように言われた。罰はだんだん激しさを増す電気ショックによるもので、教授の命令によって教師が実行した。学習者は、つまり犠牲者は電気椅子のようなものに拘束され、教師はものものしい電気ショックの発生器の前に座った。その機械には、15ボルトから450ボルトまでの、30ものスイッチがある操作盤がついていて、「経度のショック」から「重要」「危険/猛烈なショック」といった注意書きもあった。
実際には、この感心しない仕組みは、みせかけに基づいていた。犠牲者は役者だったし、ショックの発生器もたんなる模型だった。被験者でもある教師だけが、教授の命令で与えるショックや、痛みに悲鳴を上げ、許しを乞う犠牲者の叫びを現実だと思っていた。
それは基本的に、次のように進行していった。学習者は「青い箱」、「いい日」、「野生の鴨」といった、2語で1組みとなる言葉が記載された長いリストを読むように渡される。そして試験中にたとえば「青い」に続けて「インク、箱、空、ランプ」という4つの選択肢が与えられ、正しい答を指摘しなくてはならなかった。教師は、学習者が誤答するたびに、教授からショックを与えるよう指示され、さらに間違った答えをするたびに、発生器のレベルを1段階ずつ高くしていく。各スイッチ間の増加量は15ボルトだった。
教師が自分のしていることに気づくように、学習者を演じる役者は、電圧に応じてやかましくなる不平を口にした。75ボルトの軽い愚痴から始まって、だんだんと口調を強め、150ボルトで犠牲者は叫びをあげた。「ここから出せ!もう実験は終わりだ、続行は拒否する!」350ボルトで絶叫した犠牲者は、自分はもう参加者ではないと喚き散らした。彼は返答しなかったが、ショックが与えられるたびに苦悶し、叫んだ。350ボルトを超えると、犠牲者は何も言わなくなったが、それでも教授は被験者に対し、無回答として扱い、予定通りショックのレベルを上げ続けるよう指示した。450ボルトで3回ショックを与えた後は、教授は実験の中止を命じた。
人口比率にして、いったいどれだけの人が命令に従い、450ボルトぎりぎりまで犠牲者を拷問する任務を遂行したと思うだろうか?答えは決まり切っているように思われる。たぶん千人に1人の、病的なサディストだろう。
この実験を始める前に、実はミルグラムは精子に学者のグループに、結果を予測するよう求めていた。驚くべき類似性をもって、彼らは被験者のほぼ全員が、実験者に従うのを拒否するだとうと予測した。精神医学者たちの一致した見解では、ほとんどの被験者は、犠牲者が最初に解放を要求する150ボルトを越えないはずだった。彼らの予測では、そのうちの4%だけが300ボルトを超え数千人にひとりの病的な過激派だけが、操作盤の最高ショックを与えるはずだった。
現実には、60%以上の被験者が最後まで教授に従い、450ボルトぎりぎりまでいったーーーいいかね。60%だ。
イタリア、南アフリカ、オーストラリアで再び実験が行われた時は、教授に従う被験者の割合はやや高く、ミュンヘンでは85%だった。犠牲者にショックを与える行為は、破壊衝動によるものではなく、被験者が服従に基づく社会的機構に組み込まれたことによるーーーこの点を証明すべくミルグラムはさらに一連の実験を続けた。そこでは、教師は学習者に対して任意のショックレベルを選べるし、どのテストにおいても自由に罰を与えていいと言われた。
充分な機会が与えられても、被験者のほぼ全員がもっと低いショックを与えた。その平均ショック・レベルは54ボルトだった。最初に犠牲者が軽い愚痴を言うのは、75ボルトだったのを思い出しなさい。元の実験では、教師が命令に従って行動するとき、平均40人いる被験者のうち25人が、最高の450ボルトのショックを与えた。自由選択の実験では、40人中38人が、犠牲者が最初に大声で抗議する150ポルトを越えなかった。
そしてふたりの被験者だけが、それぞれ325ボルトと450ボルトに達した。被験者の大多数は、犠牲者へショックを加えることから何か快楽を得るどころか、感情的緊張や、苦痛を示すような症状を見せた。ある者は突然汗をかきはじめたり、他には教授に止めるよう懇願したり、この実験は残酷で馬鹿げていると言って反対する者もいた。それでもなお、3分の2は最後まで従い続けた。
私たちは何世紀にもわたって、服従を教え込まれてきた。崇高な動機に従うのは美徳で、従わないのは悪徳であり、罪だというわけだ。どんな崇高な動機でも従わないと、それはあなたのなかに罪悪感を作りだし、従えば気分が良くなる。だからあなたは、じぶんの良心に目をつぶって従ってさえいるかもしれない。あなたにはその無益さや愚かさ、残酷さがわかるはずだ。
広島に原爆を落とした男は、その晩非常によく眠り、朝になって気分はどうかと尋ねられると「最高です!」と言った。人々はその言葉が信じられなかった。人々は言った。「眠れたですって?10万もの人々があなたに焼き殺されたというのに、その晩眠れたんですか?」彼は答えた。「よく眠れましたよ、自分の義務を果たしたわけですから、人は自分の義務をよく果たしすことで、よい眠りを稼ぐものです」
原爆が落とされた当時のアメリカ大統領はトルーマンだったが、「どんな気分ですか?」と尋ねられると、トルーマンはこう言った。「とてもすばらしい気分です。崇高な動機が遂行され、民主主義がファシスト勢力に勝ったのですから」
いつも覚えておきなさい。大言壮語は非常に危険だ。大言壮語にはとても催眠的な力がある。民主主義、神、宗教。聖書…こういうおおげさな言葉はとても催眠的な力をあなたに及ぼす。それらはあなたのなかに、ひどい無意識を生みだしかねない。するとあなたは、こうした大言壮語なしには夢にも思わなかったようなことをやり続けられる。
だから「崇高な動機」というのは、大変危険なゲームだと覚えておくことだ。何が崇高なの、あ、誰が決めるのかね?個々人に自分自身の良心に従って決めさせればいい。
ではなぜミュンヘンでの割合は、85%ともっとも高かったのだろう?それはドイツ人がとても従順だからだ。それらが彼らのしつけであり、条件づけだった。そして彼らは従順であるとほめられてきた。それは彼らの内的機構の一部になりきってしまったのだ。
責任感の消失というのは、人が権威に服従したために広く生じた結果だ。
自分の責任を無視するのはいたって簡単だ。あなたはいつでもこう言えるからだ。「どうしようもないだろう?命令されたんだから」より高い地位にいる人は、自分よりも上の権威者から命令されがからだと言えるし、大統領でさえ、「自分は軍事専門家によって助言を受けていた」と言える
かくして責任はぐるぐるとめぐっていく。本当は誰にも責任はない。責任はいつでも他人の肩におしつければいい。真に宗教的な人というのは、責任を負う人のことだ。彼は言う。「私には責任がある。私が何をしていたら、私には責任がある。それをするかしないか、私は熟考しなくてはならない。自分の気づきが許せばそうするだろうがさもなければ、結果がどうなろうと、私は服従するつもりはない」だから私にとっては、服従には何の価値もないし、不服従が価値に反しているわけでもない。あなた自身の理解が価値基準だ。
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人生を変容する錬金術 アルケミーヒーリング
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