旦那の躁うつ病が再発したことについて 4. | 国際結婚と中国語と、ときどき猫と村上春樹

国際結婚と中国語と、ときどき猫と村上春樹

国際結婚のこと、猫のこと、中国語のこと、料理のこと、音楽のこと、買い物のこと、日々のこと、好きな村上春樹さんの小説のこと。

今回旦那の躁うつ病が再発した(正しくは躁状態が現れた)ことで、今までちゃんと見えていなかった

様々なことが見えるようになった。あまりにも沢山あるので、その中でも今回は、

今度の躁うつ病再発によって、私が「旦那はひょっとしてアスペルガー症候群ではないか」と

考えるようになった経緯を話したいと思う。

 

まず、今回旦那の躁うつ病が再発してすぐ、旦那は専門学校時代の女性の友人と昼ごはんを

食べに行く約束をしていた。私は旦那を一人で行かせるのが心配だったので、同行した。

旦那と友人とで、専門学校時代のことについて色々話していたのだが、

その話の中で、旦那が「あの頃、〇〇と××が、何々をして、それから△△が。。。」

という思い出を語り始めると、友人が「よくそんな細かいこと覚えてるわね!私はもうすっかり忘れてた。」

というやりとりがあり、旦那はこう言った。

「俺は、すごい細かい記憶でも、よーく覚えてるんだ。」

 

その友人と三人でランチした後、私と旦那で近所を散歩していたら、旦那がふいに、小さい頃の思い出について

語り始めた。

「それは、何歳ぐらいの時?」

と聞いたら、

「3歳くらい。」

と答えたので、びっくりした。

「3歳のころの記憶があるの!?」

「もっと前の記憶も、ぼんやりとだけどあるよ。お腹の中にいたときのこととか。」

 

この時すでに躁状態が現れ始めていたから、話の全部を鵜呑みにするわけにはいかないが、

それでも、そういえば前からよく小さい頃の話をしてて、記憶力がすごいな、と思ったことが何度かあったな、

と思い返した。

 

それが、「旦那がアスペルガーかも」と私が思い始めたきっかけだった。

それで、アスペルガーについてネットで調べると、

いろんな部分で旦那と一致することに気づいた。

ただ、旦那の場合は、たとえアスペルガーだとしても(専門家の診断がないので、確実なことはわからない)

ごく軽度な部類なのではないか。だから、両親もそれに気づかず(あるいはうすうすそうではないかと

疑っていたが、それを否定して)育ててきたのではないか。

 

アスペルガーの人が、鬱になりやすいという記事も読み、旦那の躁うつ病とも関係があるかもしれない、

と思った。

 

旦那がアスペルガーだと思う根拠

 

1.興味のあることは徹底して調べつくす、好きなものをとにかくコレクションする

2.数字にとにかく弱い

3.記憶力が気持ち悪いくらい良い

4.他人とのコミュニケーションに、時折問題が生じる

5.軽い言語障害がある気がする(母語なのに、文法を間違えたり、簡単な英単語の発音を何度も間違えて正しく言えない)

6.感性がとても豊かで、芸術方面に秀でている。

 

だいたいこんなところだ。

 

私は別に、旦那が絶対にアスペルガーだと暴きたいわけじゃない。アスペルガーであるかどうかで、

旦那が別の人間に変わるわけでもない。ただ、もし旦那がアスペルガーであるとすれば、

私の中で色々とそれまで旦那と衝突したりして、腑に落ちずモヤモヤしていた部分が、ストンと

納得できるという話であり、また仮に、本当にアスペルガーであれば、アスペルガーなのだと

私や周りがちゃんと把握してあげることで、旦那のこれからの人生を少しでも生きやすくしてあげることが

できるかもしれない。そういうことだ。

 

また、旦那は今回躁状態が一番ひどかった時に、絶えず過去のことをあれこれと話し続けていたのだが、

その中で、旦那が小さい頃の、旦那に対する舅、姑の接し方について、旦那は何度かこういう風に言った。

「俺は母親が大っ嫌いだ。小さい頃から、とにかく気に入らないことがあると、すぐ怒るんだ。

絶対にああしろ、こうしろって。俺には俺のやり方があるのに、絶対に理解しないんだ。

母親は俺のことを全く理解していない。」

 

私は数日前に、舅に、旦那はもしかしてアスペルガーか、(高機能)自閉症ではないか?」と

聞いてみた。するとすぐに、「いいや、うちの息子はそんなんじゃない。」という答えが返ってきた。

その時は、私も疲れていたし、それ以上追及しなかった。

しかしよくその時のことを考え直してみると、舅の反応は思ったよりずっと早かった。私の言葉を聞いて、

考える間もなく、すぐに否定したのだ。ということは、舅も少なくとも過去に、自分の息子がアスペルガーではないかと疑ったんじゃないか、と私には思えてきた。そして、舅が疑ったということは、当然姑も疑ったはずだ。

 

姑は我慢強い性格で何かあっても弱音を吐いたり疲れた顔を見せないし、家族のために何十年も仕事を続けてきた。そういうところは偉いと思う。

ただ、息子の躁うつ病が最初に発覚したときだって、躁うつ病がどんな病気か、専門書で調べたり、専門家に

聞いたりということは一切しなかった。(していたら、ちゃんと治療を受け続けさせていたはずだ)

普段から本も一切読まないし、休日はほぼテレビを見るか、昼寝をして過ごす。

息子の好きな食べ物をほとんど把握していない、と旦那自身が言った。

これは本当だと思う。姑は私の好きな食べ物も、一緒に住んで3年くらいは全く知らなかったし、知ろうとも

しなかった。私が自分から、「〇〇が好き。」と言い出して、初めて私の好きな食べ物を知ったのだ。

彼女が料理をするのはほぼ休日だけだが(平日は私が料理するので)

「何が食べたい?」と旦那や私に聞くことは一度もなかった。

今でも平日、息子と一緒に過ごす時間は、夜ご飯の時だけ。

休日だって、たまにリビングで少しおしゃべりするくらいで、あとはお互いまったく別々に過ごしている。

小さい頃は、もっと一緒に過ごす時間があったのだろうか。今より多少は多かったかもしれない。

しかし、小さい頃から姑も舅も共働きで正社員だったわけだから、一緒に過ごせるのは夜だけ、というのは

同じだったはずだ。

 

別に、息子のことを愛していないわけじゃないと思う。

だけど、息子のことを理解しようとは全くしない。

小さいころから、たぶんずっとそうだったのだと思う。

 

これは私の推測だけど、姑は、小さい頃から他の子どもとはちょっと違う旦那に、イラついたり戸惑ったりして、

つい怒鳴る、ということがよくあったのだと思う。でも、なぜ他の子どもとちょっと違うのかを考えたり調べたりもしなかったし、この「他の子どもと違う」という部分を受け入れるどころか、そこから目をそらしたり、否定したりしながら、

子育てしてきたのだと思う。

その結果がこれなのじゃないか、と。

 

姑は短気で性格がきつく、言葉もいつも直接的だ。だから、周りの家族はみんな傷ついてきた。

旦那の姉も、旦那も、私も。舅についてはわからない。

たとえ傷ついていても、まったく表に出さない人だと思うからだ。

舅は穏やかで、物腰は柔らかい。夫婦喧嘩は、子供の前では絶対にしないと決めて、それをずっと守ってきたそうだ。私もここ4年間、一緒に暮らしてきて、舅と姑が夫婦喧嘩をしているところを見たことがない。

部屋の向こうで言い合いをしているらしい声を聞いたことはあるが。

 

舅は鬱気味で(旦那が小さい頃、舅はうつ病だった、と旦那は主張している)

何に対してもやる気がない。家のことも、最低限のことをなんとかこなしているが、

基本的には仕事に行って、帰ってきて、寝る。次の日また仕事に行く、そんな生活だ。

それでも今は昔よりましだと言う。昔はもっとひどかったのだそうだ。

旦那は小さい頃、父親と一緒に公園で遊んだりした記憶が一切ない。

父親は子どもの教育に関して、旦那が欲しがった物(本やゲームなど)を惜しみなく与えてくれたが、

一緒に遊んだりしてくれたことは一切ないと言う。

これについて詳しくはまたの機会に改めて書くが、舅は小さい頃から家庭環境が複雑で、苦労がとても多かったのだと言う。

私もそのエピソードをいくつか聞いたことがある。

だから、舅はすごく我慢強い。けれど、人生辛いことが多すぎたのだと思う。自分の人生を、

家族のために犠牲にしてきた。

そして、そういう過去の話を、繰り返し旦那や旦那の姉に語ってきた。

この家族の過去は、あまりにも重い。

私は初めて聞いたとき、そう思った。

だから、舅が鬱になるのもうなずける。

 

どちらにしても、旦那の両親がずっと苦痛を味わい続けて生きてきたように、

その影響が旦那にまで及んでいるのだと思う。

旦那は小さいころからそういう家族の背景を感じながら育ってきた。

そして、旦那がもしアスペルガーだったのだとしたら、彼の傷つきやすい心は、

これらの要因によって、さらに簡単に傷つくことになったのだと思う。

 

舅も姑も、人生苦労の連続で、疲れ果てていて、その上息子がアスペルガーかもしれない、という

事実を受け入れる余裕がなかったのではないだろうか。

 

これは全部仮定だ。これは全部、私がこれまで見てきた旦那と家族の関係や会話から、勝手に推測したものだ。

 

でも、もし、もし本当にそうだとしたら。

 

旦那がもっと早い時点でアスペルガーだということを、両親が認識し受け止めていてくれたら。

旦那はあるいは躁うつ病にならなかったかもしれないし、なったとしても、もっと軽い症状で済んでいたのかもしれない。旦那の人生を狂わせた元凶は、やっぱり両親にあるのだと、私は感じている。

怒ってもどうしようもない。でも、怒りがわいてくる。

 

真実は闇の中だ。私は専門家ではないし、過去のことはわからない。

でも、そのもし、を積み重ねて考えていったら、色々なことのつじつまが合う。

 

最初の躁うつ病が発症したとき、彼らは旦那を一回しか精神科に連れて行かなかった。

今回の躁うつ病が発症したとき、彼らは一回も会社を休むことなく、仕事を続けている。(少なくとも姑は

何十年も同じ会社に勤めていて、有給はたっぷりあるはずだ)

彼らは旦那が今飲んでいる薬がどんなものかもしらない。

彼らは旦那が薬を飲んでいるかどうかの管理を、すべて私一人に任せている。

彼らは旦那が薬を飲んで症状が落ち着いてきたのを見て、問題はこれで解決しつつあるのだ、と安心している。

どうして旦那が躁うつ病になったのかとか、旦那が一体何に対して苦しんでいるのかとか、まったく理解しようとしない。

 

私は彼らの短絡的すぎる思考が許せない。私は彼らの、問題を直視できない勇気のなさに怒りを感じる。

私はこの10日間ほど四六時中ずっと旦那のそばにいて、旦那の問題行動を見てきた。

いつまでもしゃべり続ける旦那の言葉に耳を傾けてきた。

その中で、今までの人生で旦那がどれほど、どんな風に傷ついてきたか、苦しんできたか、その多くを理解した。

 

もちろん、初めに言ったように、旦那の両親だけを責めるわけにはいかない。

今回のことで、私たち夫婦の在り方、コミュニケーション方法や、距離の置き方などの問題点も

たくさん見えたからだ。

 

私は台湾に来てからずっと、旦那に頼りすぎていた。どこか出かけるにも、旦那にいつもバイクで送ってもらったり、迎えに来てもらったりしていた。

旦那が友達と出かけたいと言っても、いい顔をしないこともあった。

病院に行くときもいつも旦那に付き添ってもらっていた。

たくさんのことを、旦那に頼りすぎていたし、旦那を縛り付けていた。

 

今回、もともと5月に日本に移住するはずだった。

(この計画については今は保留中だ。旦那の経過を見て、医師とも相談して最終的に決めるつもりだ)

それにあたって、私もできるだけ自立しよう、と、

台湾でバイクと車の免許を取ることにした。教習所にも通い始めた。

一つ一つ、できるところから、自立していこう。そして、旦那の負担を少しずつ軽くしよう。

そしてそう思った矢先、今回の旦那の躁状態が始まった。

 

その5へ続く