和祭り76 ノーベル賞:文学賞にベラルーシのアレクシエービッチ氏に
ノーベル賞:文学賞にベラルーシのアレクシエービッチ氏に
毎日新聞 2015年10月08日 20時07分(最終更新 10月09日 02時48分)
スウェーデン・アカデミーは8日、2015年のノーベル文学賞をベラルーシの作家・ジャーナリストで、チェルノブイリの原発事故や戦史をテーマにしてきたスベトラーナ・アレクシエービッチ氏(67)に授与すると発表した。授賞理由として「現代の苦痛と、それを乗り越える勇気の記念碑のような、多様な声を集めた著作」を挙げた。授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれ、賞金800万スウェーデン・クローナ(約1億1500万円)が贈られる。
1948年、母の故郷で当時ソ連だったウクライナで生まれ、後に父の故郷ベラルーシへ移住。大学でジャーナリズムを専攻し、首都ミンスクの新聞社勤務などを経てフリーのジャーナリストとして活動を始めた。
代表作の一つで邦訳もある「戦争は女の顔をしていない」は、第二次大戦に従軍したソ連の女性兵士数百人に取材を重ね、終戦後も苦しみを抱え続ける知られざる一面をあらわにした。83年に完成したが、「ソビエト女性のイメージを崩す」としてすぐには刊行されず、ペレストロイカによって85年に刊行。ベストセラーとなり、舞台化、映画化された。
大戦中に幼少期を過ごした人たちに取材した「ボタン穴から見た戦争」、アフガニスタン戦争の凄惨(せいさん)な現場をあきらかにした「アフガン帰還兵の証言」などで、戦争の実像を浮かび上がらせた。
「チェルノブイリの祈り」は、事故から10年後に住民の問題意識や感情がどのように変わってきたかをテーマにした証言集。98年に邦訳され、東日本大震災発生後に改めて注目を集めてきた。2003年には、日本のチェルノブイリ救援団体の呼びかけで来日した。
94年にベラルーシがルカシェンコ大統領の政権になって以降、著書は同国で刊行されなくなり、自身も一時フランスやドイツなどで暮らした。
スウェーデン・アカデミーは8日、2015年のノーベル文学賞をベラルーシの作家・ジャーナリストで、チェルノブイリの原発事故や戦史をテーマにしてきたスベトラーナ・アレクシエービッチ氏(67)に授与すると発表した。授賞理由として「現代の苦痛と、それを乗り越える勇気の記念碑のような、多様な声を集めた著作」を挙げた。授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれ、賞金800万スウェーデン・クローナ(約1億1500万円)が贈られる。
1948年、母の故郷で当時ソ連だったウクライナで生まれ、後に父の故郷ベラルーシへ移住。大学でジャーナリズムを専攻し、首都ミンスクの新聞社勤務などを経てフリーのジャーナリストとして活動を始めた。
代表作の一つで邦訳もある「戦争は女の顔をしていない」は、第二次大戦に従軍したソ連の女性兵士数百人に取材を重ね、終戦後も苦しみを抱え続ける知られざる一面をあらわにした。83年に完成したが、「ソビエト女性のイメージを崩す」としてすぐには刊行されず、ペレストロイカによって85年に刊行。ベストセラーとなり、舞台化、映画化された。
大戦中に幼少期を過ごした人たちに取材した「ボタン穴から見た戦争」、アフガニスタン戦争の凄惨(せいさん)な現場をあきらかにした「アフガン帰還兵の証言」などで、戦争の実像を浮かび上がらせた。
「チェルノブイリの祈り」は、事故から10年後に住民の問題意識や感情がどのように変わってきたかをテーマにした証言集。98年に邦訳され、東日本大震災発生後に改めて注目を集めてきた。2003年には、日本のチェルノブイリ救援団体の呼びかけで来日した。
94年にベラルーシがルカシェンコ大統領の政権になって以降、著書は同国で刊行されなくなり、自身も一時フランスやドイツなどで暮らした。