そちらで洗礼を受けました宮崎光子です。
でも色々な宗教が好きでまだ一つに決められないでいるものです。
先日はブログでの情報公開のお手紙のやり取りをしてくださると言っていただきありがとうございます。
それでお尋ねです。
イエス之御霊教会は数年前に分裂があったのですか?
林牧師様のもと奥様も牧師様
離婚をされまして、もと奥様は福重で単立のイエス之御霊教会をされています。
いぜんちょっと調べたところでは、単立の教会は税金の免除がなくてサークルのようなものだったと思いますが、どうなのでしょうか?
と申しますのも、浄土真宗にも単立の教会があったのでどういうことなのだろうと思ったのです。
私の従姉が眠っている浄土真宗のお寺、唐津の七山馬川104にある西通寺です。
ネットで調べると単立(浄土真宗東本願寺派)となっています。
お寺の御坊様に聞いてみると、浄土真宗の分裂の話は新聞でも大々的に報じられたのだそうですが、ネットで見る限りはわかりません。
福岡市の中央図書館の新聞のデータベース検索をしてみようとは思いますが、少し時間に余裕のある時しかいけません。
イエス之御霊教会と浄土真宗の分裂の時期はおなじくらいなのでしょうか? 何かきっかけとなる事件か何かあったのでしょうか?
-
浄土真宗はややこしくて、ネットで東本願寺調べたら、東本願寺は東本願寺派の大元ではなくて、浄土真宗大谷派だそうです。
電話に出られた人に出家についてお話をお聞きすると、宗派によって違うそうですが、浄土真宗大谷派は頭を丸めなくてよくて、寮もお寺の外で私服を着ていたらお坊さんには見えないのだそうです。
結婚も自由との事でした。ご実家がお寺で長男さんがついでて、自分は二男で10年間サラリーマン生活をして、おじいさんがなくなられる頃に要望もありお坊さんになられたそうです。
浄土真宗大谷派は原発反対の声明文を出されています。
http://www.higashihonganji.or.jp/
http://www.higashihonganji.or.jp/news/important-info/12341/
2015年8月10日更新
「九州電力川内原子力発電所の再稼動に関する声明」を発表しました
九州電力川内原子力発電所の再稼動に関して、真宗大谷派では8月10日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。
九州電力川内原子力発電所の再稼動に関する声明
― いのちは生きる場所を失っては生きられない ―
私たち真宗大谷派(東本願寺)は、今、まさに行われようとしている九州電力川内原子力発電所の再稼動に対して強く遺憾の意を表明いたします。
福島第一原子力発電所事故の教訓を軽視し、他者の犠牲の上に成り立つ豊かさを享受する社会は、人間の罪への無自覚が露呈しているものといわざるをえません。
いのちは生きる場所を失っては生きられません。原子力発電に依存し続けることは、人の関係性に分断をもたらし、いのちを支える大地を根こそぎ奪い取られてしまう危険の上に絶えず生活することを意味します。
人のいのちが育まれる大地とは、人と人が共に生きあえる社会であります。むしろ、いま願われることは、被災された人々の悲しみに寄り添い、引き裂かれた関係性を回復していくことではないでしょうか。
私たちは、原子力発電に依存し続けようとする人間の愚かさや核利用をめぐる無責任なあり方を、あらためて直視しなければなりません。
真宗大谷派は、仏の真実の智慧にわが身とこの世のあり方を聞きひらく教団として、現在のみならず未来のいのちをも脅かすエネルギー政策を問い直し、一人ひとりが原子力発電に依存しない社会の実現に向けた真摯な対話を重ねていくことを強く提唱いたします。
2015年8月10日
真宗大谷派(東本願寺)宗務総長 里雄康意
―
瀬戸内寂聴さんは原発反対で経済産業省の前のテントに座り込みされましたが、そちらではどうか電話の男性にお聞きすると、反対運動している人はいるでしょうけど、私服をきていたらお坊さんとはわからないとの事でした。
イエス之御霊教会は社会的活動はまったくされない、神さまにお祈りするのが一番だとの考えだと思いますが、宗教で政治をしたり活動をしたりすることにどうして反対なのですか?
私は毎日カトリックの「東日本大震災被災者の祈りⅡ」を唱えています。
お祈りすることが増えています。
東日本大震災とともに、ネパール地震、フィリピン地震、中国の地震、たくさんの地震、火山の噴火、御嶽山、口永良部島噴火、土砂災害、船の沈没、マース、エボラ出血熱、ウィルス、戦争、従軍慰安婦、紛争、テロ、拉致、侵略、難民、事件事故、冤罪、病気、薬害公害、テクノロジー犯罪、職場環境などによって、今もなお苦しい生活を送り・・・と祈っています。
―
先日は水曜日の祈祷会でハレルヤを大きな声でリフレインで唱えまして気分が少し晴れました。
カトリックの唄のようでした。
以前そちらの教会でアルゼンチンの牧師さんが祈祷してあるのにご一緒させていただきましたが、それにはまだ声の大きさでかなわないと思いますが、がんばりたいて思います。
日本だと大きな声は近所迷惑かと思いますが、アルゼンチンの牧師さまは広い大地をイメージできる大声でございました。
私も天に向かいまして、天の神さまにとどくほどの大声で祈祷させて頂きたいと思っています。
まだ一つの教会に決められない優柔不断な者でございますが、これからもよろしくお願いします。