和へ452 現代の奴隷制度と闘いを。
断捨離を開始した途端に書きたいことに巡り合うようです。
カトリック新聞の1月4日版
病気の子供を抱きしめる教皇フランシスコの写真
子供はブルーのマスクをして、髪の毛がありません。
たぶん抗がん剤治療でしょうか?
抗がん剤治療と奴隷制度って関係あるのでしょうか?
この新聞記事は
企業の社会的責任だけでなく消費者の社会的責任もある。
買うとは絶えず道徳的な行為とあります。
服でも過酷な労働の上に安くて見栄えのいいのがある。とかあります。
先日、くつ買いました。
日本製で1900円。材料費と人件費、電気代なんて考えたら、どうして1900円で売れるのだろう?
と後で思いました。よくよく考えると工場見学までして買う方がよいのかもしれません。
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http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/peace/15peace.htm
(↑15peace のアドレスが気になります。
炭坑の過酷な労働は労働運動では解決されませんでした。)
皇フランシスコ 2015年「世界平和の日」(1月1日)メッセージ
2015年「世界平和の日」教皇メッセージ
(2015年1月1日)
「もはや奴隷としてではなく、兄弟姉妹として」
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奴隷労働と人身売買には、多くの場合、仲介する共謀者が必要です。たとえば、警察官、役人、民間団体や軍事機関などです。
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:刑事裁判傍聴して思うのは、冤罪でおつかまりになり、刑務作業でほとんどタダ働きさせられる人は現代の形を変えた奴隷制度ではないかと思います。
刑務所を出ると過酷な労働の職場しか用意されていない感じもあります。
刑事裁判で鎖と紐でつながれて出てこられる人。
覚せい剤とか、よくわからないのが、20年使っても捕まらない人もいれば、少し使っても捕まる人もいます。
捕まる人は世の中を変えたいと思っている人のように思えます。
わたしも世の中なんとかならないかと思って活動してると捕まりそうになります。
今では、神さまにお祈りが一番だと思っています。
テクノロジーの問題はわたしたち人間にはどうしようもありません。
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しかし、国際社会があらゆる形の奴隷制を終わらせるために数々の条約を採択し、その問題に対するさまざまな政策を行っているにもかかわらず、何百万もの人々、子どもやあらゆる年代の男女が、現在でも自由を奪われ、奴隷のような状態で生きるよう強いられています。 わたしは、さまざまな分野で正規または非正規の労働を強いられている未成年を含む多くの労働者のことを考えます。彼らは、家庭内労働や、農業、工業、鉱業関係の労働に従事しています。
(建設現場も気になります。
聖書のバベルの塔の塔が完成しない話を思いました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A1%94
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[3]
の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
— 「創世記」11章1-9節[4]
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(↑わかったようなわからない感じです。)
労働条件が国際基準や最低水準に達しない国で働く場合もあれば、労働者の権利が法的に保護されていない国で違法に働く場合もあります。
わたしは、多くの移住者の生活状況にも思いを寄せます。彼らは、苦しい旅の中で、飢えに苦しみ、自由を奪われ、所持品を取られ、身体的・性的虐待を受けています。わたしは、その中でもとりわけ、恐怖と不安のうちに過酷な旅をして目的地にたどりついたのに、収容され、しばしば非人道的な扱いを受けている人々のことを考えます。また、さまざまな社会的、政治的、経済的理由から、人目を避けた生活を強いられている移住者に思いを寄せます。また、法に準ずるために、屈辱的な生活条件や労働条件を受け入れている移住者のことも考えます。とりわけ問題なのは、国の法律によって移住労働者が雇用者に構造的に依存する状況が生み出されたり、それが許されたりしている場合です。たとえば、法的な在住許可が労働契約に左右される場合です。そうです。わたしは「奴隷労働」について考えているのです。
わたしは、売春を強いられる人々、性奴隷とされる男女のことも考えます。彼らの多くは未成年者です。また、承諾する権利も、断る権利も認められず、強制的に結婚させられる女性、決められた結婚のために売られる女性、配偶者が死亡すればその親戚に嫁がされる女性に思いを寄せます。
わたしは、臓器売買のため、兵士にするため、物乞いをさせるため、麻薬製造取引のような違法行為のため、偽装された国際養子縁組のために取引や密売の対象にされている子どもや大人など、すべての人々のことも考えずにはいられません。
最後にわたしは、テロ組織によって拉致・監禁された人々、戦闘員として服従させられている人々、とりわけ性的な奴隷として酷使されている少女や女性のことを考えます。彼らの多くは行方不明になったり、何度も売り買いされたり、拷問されたり、からだを切断されたり、殺されたりしています。
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とても悲しいことです。だから復活があるのだと思います。
宗教の復活や輪廻転生を信じないと希望が持てないこともあると思います。
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刺青の問題もあるように思います。
やはりテクノロジーの問題が大きくかかわっているようにも感じます。
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いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、
神が望んでおられることです。
―テサロニケ5・15-16
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神さまとわたしたちの関係は茶碗とそれを作った陶芸家に似ています。
もし茶碗がしゃべって「わたしは失敗作だ価値がない」といったらその茶碗を作った陶芸家を侮辱したことになります。
自分の思った通りでなくても、わたしたちは神さまの最高傑作なのです。
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