和へ263 口永良部噴火の新聞記事 | 宮崎光子のブログ

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和へ263 口永良部噴火の新聞記事

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島唯一の医師、住民に寄り添う 口永良部噴火で心のケア

石塚翔子、屋久島通信員・武田剛 斉藤明美

2015611050

避難した人たちの心に寄り添いたい――。鹿児島県屋久島 町・口永良部(くちのえらぶ)島での噴火で、全島避難した住民の心のケアに目配りする動きが広がっている。島唯一の医師は避難所を回り、住民の話に耳を傾ける。先行きの見えない避難生活で体調を崩す人もおり、町や県警も対策に乗り出した。

 「よく眠れてますか」「困ったことはない?」

 31日朝、避難した住民が身を寄せている屋久島 (同町)の宮之浦公民館。白衣姿の医師、久保利夫さん(78)が住民の顔を見ながら笑顔で話しかけていた。診療ではない。「今できることは何か」と自問し、噴火翌日の30日から自発的に避難所を回っている。

 体がこっていると訴えた人の肩をもむサービスも。「私にできるのは、お一人、お一人の訴えを聴くこと。話をすることで気持ちが温かくなればいい」。心の健康は体の健康と同じくらい大切だと考えている。

 避難前から久保さんの診察を受けてきた女性(64)は「安心感が違う。島におってもらわんといけない人」。関口浩さん(49)は「避難が長期化するなら精神面のサポートは必要。ありがたいです」と話した。

 口永良部島 には3月まで約1年、常駐の医師がいなかった。そこへ、4月に赴任したのが久保さんだ。仕事のかたわら、海岸を歩いて波の音を聴き、照葉樹の森で鳥のさえずりを楽しみ、東シナ海 を望む露天風呂 で汗を流す日々。新岳が噴火したのは、ようやく島の生活に慣れた頃だった。

 診察を終え、患者が帰ったところで、「ドカーン」という爆音が響き渡り、鉄筋コンクリート づくりの診療所が揺れた。「大変です。逃げましょう」。看護師が叫ぶ。血圧計 を抱え、車で島内に町が設けた避難施設に向かった。

 外務省 の医務官として、ケニアやコロンビア などの在外日本大使館 で長く勤務した。「人が住んでいるところには、医者がいなくてはいけない」を信条に、退職後も東北の無医村や沖縄の離島を巡った。

 口永良部島 との縁は、昨年末にインターネットで見つけた求人。昨年8月に新岳が34年ぶりに噴火し、住民が様々な不安を抱えて暮らしていることは想像がついた。「自分が行くしかない。最後の仕事場だ」。こう思い定めて応募し、町と契約。多い日には5人ほどの住民を診てきた。

 避難生活の終わりは全く見えない。自身も避難している身だが、「当面は島の医師として残りたい」。住民の様子を見守り続けるつもりだという。(石塚翔子、屋久島 通信員・武田剛)

■警官・保健師が心のケア

 鹿児島県警 は31日、被災者の心のケアなどのため、警察官4人を屋久島 町に派遣した。屋久島 町の保健師4人も30日以降、県の保健師とともに3カ所の避難所を回り、被災者の相談を受けたり、健康状態のチェックをしたりしている。町によると、体調を崩す人も出てきているといい、町などは心身のケアに力を入れる考えだ。

 県警によると、警察官4人のうち、主に2人の女性警察官が屋久島 署員とともに避難所を訪れ、住民の要望や、避難生活の中で悩みがないかを聞く。2人は女性警察官でつくる県警第2機動隊特別小隊の所属。災害対応に必要な知識を学び、訓練も重ねてきた。

 水口絵里奈隊員(28)は島に向けて出発する前、「被災された方の心に寄り添い、困りごとや不安を解消できるよう、話をうかがいたい」と話した。(斉藤明美)