和へ233 あらゆる悪い(わるい)ものから遠ざかり(とおざかり)なさい問題(もんだい)。 悪い(わるい)もの悪(あく)とは何(なに)か? 私(わたし)は、なまけものと書きました(かきました)が、ふと??と思いました(おもいました)。 と申します(もうします)のも「ぶらぶら病(びょう)」を思い出した(おもいだした)からです。 原発(げんぱつ)労働者(ろうどうしゃ)や被ばく(ひばく)した人(ひと)が働きたくて(はたらきたくて)も働けない(はたらけない)状態(じょうたい)になること。病院(びょういん)でも原因(げんいん)不明(ふめい)とされ、なまけもののレッテル(れってる)をはられた時代(じだい)がありました。そんな感じ(かんじ)で、化学物(かがくぶっ)質(しつ)などが原因(げんいん)で働きたくて(はたらきたくて)も働けない(はたらけない)人(ひと)がなまけものと言われる(いわれる)ことがあると思いまして(おもいまして)、悪(あく)について調べて(しらべて)みました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA 悪 ウィキペディア 悪(あく)とは、文化や宗教によって定義が異なるものの、概ね人道に外れた行いや、それに関連する有害なものを指す概念である。 日本語における「悪」[編集] 日本語における「悪」という言葉は、もともと剽悍さや力強さを表す言葉としても使われ、否定的な意味しかないわけではない。例えば、源義朝の長男・義平はその勇猛さから「悪源太」と、左大臣藤原頼長はその妥協を知らない性格から「悪左府」と呼ばれた。鎌倉時代末期における悪党もその典型例であり、力の強い勢力という意味である。 ― 日本における「勧善懲悪」の歴史[編集] 近世江戸時代に、儒教で見られる政治や道徳に対する思想と、江戸幕府が打ち出した政治や道徳観の教育・方針の影響を受けて生まれた理念である。江戸時代後期の文学作品によく用いられ、特に読本や人情本、歌舞伎などの作品に多く散見される。曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』などが、勧善懲悪の代表作品としてよく挙げられる。 ― 西洋哲学[編集] ニーチェ[編集] フリードリヒ・ニーチェはユダヤ-キリスト教的道徳を否定し、『善悪の彼岸』・『道徳の系譜』の中で、非-善の本来の機能は弱者の奴隷道徳によって宗教的な悪の概念へと社会的に変容され、主人(強者)に反感を抱く大衆を抑圧した、といったことを主張した。奴隷道徳弱いものは弱さで自分の性質を選べないのである。 奴隷道徳は卑下が自発的だと主張することにより、自分の卑下が君主に圧制された時に生まれたと認めるのを避ける。聖書の侮辱を甘んじて受ける、謙遜、慈善、憐れみという理論は奴隷の苦境をすべての人類に広げる結果である。だから、君主をも奴隷にする。” ”民主的”運動はキリスト教から生まれた。”[8]―自由と平等を取り入れた奴隷道徳の政治表明。(わかったようなわからないような?)-宗教[編集] 詳細は「悪の問題」を参照宗教はしばしば戒律で悪を規定する。それに基づいて禁止されている事柄(タブー)は、その始祖や開祖に関するものや、それが発達した文化圏における生活規範をモチーフにしたものなどがある。中東のゾロアスター教は光(善)と闇(悪)で世界を捉えており、のちの一神教における神と悪魔の対立という概念に影響を与えたとされる。一神教ではユダヤ教の十戒やキリスト教の七つの大罪などが有名である。七つの大罪七つの大罪は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作に八つの「枢要罪」として現れたのが起源である。キリスト教の正典の中で七つの大罪について直接に言及されてはいない。八つの枢要罪は厳しさの順序によると「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」である。6世紀後半には、グレゴリウス1世により、八つから現在の七つに改正され、順序も現在の順序に仕上げられた。「虚飾」は「傲慢」に含まれ、「怠惰」と「憂鬱」は一つの大罪となり、「妬み」が追加された。