230-6 | 宮崎光子のブログ

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 十字架(じゅうじか)にかけられていた犯罪人(はんざいにん)一人(ひとり)イエス(いえす)をののしった。「お前(おまえ)メシヤ(めしや)ではないか。自分(じぶん)自身(じしん)我々(われわれ)救って(すくって)みろ。」すると、もう一人(ひとり)のほうがたしなめた。「お前(おまえ)(かみ)恐れない(おそれない)のか。同じ(おなじ)刑罰(けいばつ)受けて(うけて)いるのに。我々(われわれ)は、自分(じぶん)のやったことの報い(むくい)受けて(うけて)いるのだから、当然(とうぜん)だ。しかし、この(ほう)(なに)悪い(わるい)ことをしていない。」そして、「イエスよ、あな たの御国(みくに)においでになるときには、わたしを思い出して(おもいだして)ください」と言った(いった)