222-2「したら先生(せんせい)、一体(いったい)どうして、まじめな者(もの)がこんなひどい目(め)に遭うん(あうん)ですか。 こんなひどい苦しみ(くるしみ)に」 「俺(おれ)は、もう一度(もういちど)生まれ変わった(うまれかわった)としても、まじめに生きる(いきる)ぞ」 ―(ー) 生きる(いきる)ということは、何(なん)の報い(むくい)も望まない(のぞまない)ことなのか。 どんな苦難(くなん)な会おう(あおう)と、只(ただ)ひたすらに、真実(しんじつ)に生きて(いきて)行く(いく)べきなのだろうか。 ― 『とにかく、災害(さいがい)に遭う(あう)と、人(ひと)の情け(なさけ)が身(み)に沁みる(しみる)よ。 先生(せんせい)はなあ、家内(かない)と子供(こども)は失った(うしなった)代わり(かわり)に、感謝(かんしゃ)ということが、わかったような気(き)がするなあ。