-2「・・・・・・そうか、馬鹿臭い(ばかくさい)か」 「おれはな耕作(こうさく)(弟(おとうと)の名前(なまえ))、あのまま泥流(でいりゅう)の中(なか)でおれが死んだ(しんだ)としても、馬鹿臭かった(ばかくさかった)とは思わん(おもわん)ぞ。もう一度(もういちど)生まれ変わった(うまれかわった)としても、おれはやっぱりまじめに生きる(いきる)つもりだぞ」 聖書(せいしょ)のヨブ記(よぶき)も出て(でて)きて、ヨブ記(よぶき)が難解(なんかい)なのは、善因(ぜんいん)善果(ぜんか)、悪因(あくいん)悪果(あっか)の考え(かんがえ)が根(ね)ずよくあったから 人間(にんげん)では計り知れない(はかりしれない)何(なに)かが隠されて(かくされて)いるから 牧師(ぼくし)さんは『(「)神(かみ)は愛(あい)なり』(」) 「じゃ、どうして災難(さいなん)を下すん(くだすん)だ」