-1大正(たいしょう)15年(15ねん)の十勝(とかち)岳(だけ)の大爆発(だいばくはつ)による泥流(でいりゅう)の惨害(さんがい)を題材(だいざい)としつつ、そこに生き死(いきし)にした人間(にんげん)たちの苦難(くなん)と悲哀(ひあい)をあたたかくみつめながら、真面目(まじめ)に生きる(いきる)人間(にんげん)が経験(けいけん)させられる苦難(くなん)とはなにかという古くて(ふるくて)新しい(あたらしい)問題(もんだい)を問うて(とうて)いるそうです。 「なあ、兄ちゃん。まじめに生きて(いきて)いる者(もの)が、どうしてひどい目(め)にあって死ぬ(しぬ)んだべな」 「わからんな、おれにも」 「こんなむごたらしい死に方(しにかた)をするなんて・・・・・・まじめに生きて(いきて)いても、馬鹿臭い(ばかくさい)゜(まる)ようなもんだな」