和へ194 しょうがいしゃ と きぼう | 宮崎光子のブログ

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和へ194 しょうがいしゃ と きぼう

しょうがいしゃが まえむきに いきてあるのを みききすると かんどうします。

でも そこに せいしんかの くすりが はいってこないかな と しんぱいになりますが 堀江菜穂子(なおこ)さんは だいじょうぶのようです。

きぼうを ありがとうございます。

朝日新聞デジタル

「すべてはいきていてこそ」脳性まひ女性、詩1200編

北村有樹子

2015450505

寝たきりのベッドで詩を書き続ける女性がいる。東京都 板橋区 の堀江菜穂子(なおこ)さん(20)。脳性まひ のため手足はほとんど動かない。わずかに動かせる手でつむいだ詩は約1200編。筆談の文字が訴える。「こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて」

 右手に握る紙粘土 に挿したペンが、B6サイズのノートの上をなでるように動く。2センチほどの文字が生まれる。ボランティアの女性(42)が、支えているノートを左にずらし、また次の1文字。

 筆談も詩も同じノートに書いてきた。高校3年から使い始め、70冊になった。

 「いまのつらさもかんどうも すべてはいきていてこそ どんなにつらいげんじつでも はりついていきる」(「いきていてこそ」)

 母の真穂(まほ)さん(57)が出産時に危険な状態に陥り、菜穂子さんは重度の脳性まひ に。体は動かず、言葉も話せない。居間に据えたベッドで、食事をすりつぶしてもらうなど両親の介助をうけて暮らす。

 都立の特別支援学校 に、母の送り迎えで小学部から通った。中学部のころ、筆談などを練習して生活力を身につける自主グループに両親が連れていってくれた。初めはスケッチブックに大きな1文字を書くのがやっとだった。

 詩を書くことも、ここで覚えた。詩は、小さいころから母が読み聞かせてくれていた。

 高等部のころ、周囲の人の会話の端々から、自分が何も考えていないように思われていると感じた。詩をたくさん作るようになった。「心をかいほうするためのしゅだんだった」。口にすることができないから、「なんども心のなかでよみつづける」という。

 学校には突然亡くなる生徒もいた。昔から生と死を意識してきた。

 「それがどんなにふじゆうだとしても わたしのかわりはだれもいないのだから わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる」(「せかいのなかで」)

 いまは民間の障害者施設に通う。そこには様々な人がいる。家族や、2歳半のころから通ってくれるボランティアの女性の助けで、自分は筆談や詩作ができていると気づいた。

 成人の日 を前に、振り袖 を着ることができた。障害者も着やすい和服づくりに取り組む人たちの協力だった。そうした人らの後押しもあり、詩集をまとめる準備も始まった。「こんなわたしでもいきていることをわかってもらうことがなやんでいる人のなにかのたすけになるのではないか」

 もっと詩を作り、多くの人に読んでもらいたい。社会とつながりたい。

 「そのドアをあけなければ けっしてみることのできないことがある いまそのドアをあけよう」(「ドアのむこう」)

 真穂さんが1枚の写真を見せてくれた。振り袖 姿の菜穂子さんがうれしそうに笑っていた。(北村有樹子)