かなり久しぶりにブログを書くことになった。

 

今年1月中旬に、18年と8ヶ月という長い時間、

住ませてもらったお台場から、

北千住の実家に戻ってきた。

 

実家は、もともとは、寿司屋であったが、

今は、賃貸住宅経営をしている。

 

この地で、今年でちょうど45年前の

1974年3月7日、

ユリ・ゲラーの『木曜スペシャル』を

観てから、俺(わたし)は、

スプーンを念じることで、

曲げることを覚えた。

 

 

 

それ以前、スプーンは、食器であって、

曲げたり、変形させたりすると

いう着想や観念がなかった。

 

それからは、スプーンに対する向き合い方が、

食器としてだけでなく、念じる対象となった。

対象となる物のとらえ方が、増えたことになる。

 

食器としての用途だけでなく、

それ以外の用途として、とらえられてくると、

心は、広がり、深まっていく。

そして、物との接し方が、深まっていく。

 

常識という世界観の中では、

物事や現象をとらえる領域が、

画一的で、新たなとらえ方や、

自由な発想が、し難くなる気がする。

 

その時代時代の常識のみに、拘束されず、

柔軟で、自由な心を養うことは、

非常識になるということではない。

 

常識からかけ離れることではなく、

常識は、常識として対応し、

それ以外の認識や観念を広げ、深めていくこと・・

 

俺(わたし)は、それを念・頭に、

実験の依頼があれば、

隔離された実験室にも、出向き、

実験にも参加させてもらった。

 

こうした実験は、

現代の常識の世界からのアプローチだと

認識していたからだ。

 

《防衛大学&防衛医大での実験》

 

《コロラド大学での実験》

 

《「知らぜざる世界』日本テレビドキュメンタリー番組》

 

また、自分は、超能力者の道を自分自身が、

選択することで、

縁そのものの選択を必然的にすることになったと

痛感している。

 

自分は、寿司屋のせがれとして、この世に生まれ、

本来なら、寿司屋として生計を立てるはずだった者が、

通常では、選択するはずもない"超能力者"という

まさに、"未知なる道"を歩むことなった。

 

父は、

ユングや、精神世界の本を熟読していたり、

願い事があれば、それを文字に記し、

常に携帯するなどしていた

風変わりな寿司職人だった(笑)

 

そうした環境もあり、

自分は、この道を歩むことった。

 

もし、寿司屋になるという選択を

していたとしたら、

縁の展開は、

この"未知なる道"の縁の展開とは、

全く異質なものであったことは、

間違いない。

 

父は、

「お前は、寿司屋は、継がなくて良い!

自分の能力を世に活かせ。

寿司屋は、代わりはたくさんいるが、

超能力者の代わりは、なかなかいないから・・

そして、大学で、心理学か、医学、物理学を学べ」

という半ば、

強制に近い提案をしてもらった(笑)

 

理数系の勉強が得意ではなかった自分は、

必然的に、心理学を学ぶことを、中学生の時点で決め、

心理学部のある大学の付属高校を探すことになる。

 

自分の当時の学力に準じて、

自分は、心理学部のある専修大学か日本大学の付属高校を

選ぶことになるが、

結局、実家からも通学の便が良い、

専修大学松戸高校を受験することなる。

 

よっぽどの偶然だと思うが、

専修大学の心理学の教授の中に、自分の能力に興味を

持ってくれていた先生がいた。

 

その後、自分の恩師となる東條正城先生である。

東條先生の祖父は、東條英機氏である。

 

《専修大学卒業式の時、東條先生と・・》

 

大学卒業後、

自分は、メディアの対応をしてもらうため、

マネージメントをしてくれる方がいてくれた。

 

その中の一人は、

またまた、よっぽどの偶然であるが、

東條英機氏の最後をみとった

浄土真宗の花山信勝和尚のお孫さんの

花山さんだった。

 

俺(わたし)は、

よっぽどの偶然を必然と呼んでいる。

 

念は、縁の展開に影響を与えるものだと、

自分は、人生の中で、体験させてもらっている。

 

 

 

その必然を引き起こした

最大の原因は、自分が、この"未知なる道"を

45年前に、選択した=念ったことにあると

実感している。

 

念は、それに見合った縁を展開させ、

そして、その縁によって

自分の念は、さらに広がり、深まってく。

 

自分の念が、広がり、深まっていくと、

人と人との縁だけではなく、

人と大地との縁の展開も、

必然的に広がり、深まっていき、

それによって、さらに自分の念を育んでくれ、

縁の展開が促進されていく。

 

 

輪廻があったにせよ、

自分という個体として生まれてこれるのは、

一度しかない。

 

その自分自身の観・念、認識を広げ、深めていくこと・・

それは、永遠の探求である。

可能性への深く楽しい探求なんだ。

 

超能力は、俺(わたし)に試練を与えてくれ、

同時に、数多の縁を与えてくれた。

 

常識は、時代時代で、進化する。

実は、常ならぬ認識であることを、

意識しておこう!

 

また、

心・・念も

常に成長をしていく。

今の自分自身の認識全てが、

全てではないことを意識しておこう!

 

それには、柔軟で、自由であること・・

 

ニュートラル(中立。中間。→中庸。)でありながら、

そこに固定されず、

リラックス(緩和。弛緩。)すること・・

 

Neutral Relax(ニュートラル・リラックス)!

 

力は、最大限に発揮される^_−☆