今朝、「蟹工船」を聞かせてもらいました。

もともとは、一度だけこの名を聞いたことがありました。でも、聞きたいと思ったきっかけは初めはただキャストが豪華だなと思って聞いてただが、トラック1からきずいた、これは名作だ。


ネタばれは無いと思う。でも、聞いてる時は緊張になだり、苦しくなたり、悲しくなたり、応援したいになたり、最後でよかったなと思ったりした。

ただの60分のドラマ作品、こんなに深いでした。
ああ、名作はやはり名作だな。そして、小説を読みたいと思った。

  徹夜で小説を読み終わし、カーテンを見て、もはや朝六時四十五分のごろでした。
  全部で十二冊がありました(終わっていません)、去年の十二月から今年の七月初め、半年あまりのところ、やっと読み終わりました。
  久しぶり感動されました。あるキャラクタだけのためでわなく、物語そのものに感動さらました、それとも、文字に感動されましたという方が正しかったかな。


  一人を愛し、そのものに対する感情は「愛している」という簡単なものではなく、もっと切なく、曰く心を捕まれましたみたいなこと。
  誰よりもあの方を大切にする、そして誰にもあの方を傷つかせず。その人を亡くせば、わが身も滅ぼすことに等しい。あの人ひとつの笑みは我にとっては一番の褒美。たっだ一人心を許すものにだけ、弱みを吐く。あの人のためなら,死んでもいい、でも できれば死にはしない、もう一度会うために。ほかの人に見せ付けたい、まるで自分の所有物みたい、本当は自分が所される。
  自分だけその人を幸せできえる、そう信じている。欲しいものがあれば、何でもあげる。徹底できに甘やかす、できれば、離れたくない、側を離れるのも一種の罰みたいなもの。


  快楽を分かち合いたい。
  悲しみを分かち合いたい。
  自分だけを頼って欲しい。
  自分だけに笑って欲しい。
  自分だけ見つめて欲しい。
  ほかの人に見せたくない。


  ね、私たちが探してるのは、本当はそういう人なのかな。でも、現実の世界に、私たちはすべてのことを「感」と言うものに任せている。ただの感。いつの間にか、ある人を思い始めて、そしてそう考え始める「もしかして、これで『愛』?」。本当は、そう言うころかな。小説も現実も、すべてのことは思うから始まる。

九時三十四分、外は大雨です。

今日は雨のせいで、日食は見られなかった。l


でも、きついたとたん、もうすかり暗くなた。

まるで世界の末みたいな時、何もない、雨音以外 何もなかった。

そして九時四十分の頃、また明かるくなりました、鳥がまた鳴りはじめた。