半年以上ぶりの合気の稽古時、
気が早くまだ仕事のシフトもでてないのに1ヶ月後の11月28日(火)の武道館予約も取っていた
冠光寺流 野山道場 大山別館の
館長
わたなべさんでしたが、
その後、ふと、炭粉良三さんの事を思い出しました!
そういえば
冠光寺流創生期、まだまだ保江先生が武道界に知られる前、東京に出るずっと前に
保江先生に道場破りのように空手で挑戦し、
合気(愛魂)で吹っ飛ばされ、
その体験を本にするなどして、
保江先生を世に知らしめて、
亡くなる直前にはミャンマーなどで無償治療を行い
情熱大陸に3度もとりあげられた吉岡医師と
不思議なご縁で繋がって行き
吉岡先生からの軍事政権のミャンマーの軍隊に愛魂を伝え、争いのない国にして欲しいと強い希望もあり、
以下 炭粉良三の合気閑話より転載↓
実は私は今、大変大きな仕事に今年から携わっています。
それは年に2回ミャンマーに赴き、向こうの(悪名高き)軍部に日本武道の最高奥義「合気」を教えるという、実にとんでもない事なのです。
これには、経緯があります。
吉岡秀人という、もうミャンマーに渡り20年以上もの間、向こうの貧しい子供たちに無償で手術を行い多くを救って来たという、有名な小児外科医師がいます(人気番組「情熱大陸」でも3度に渡り特集されましたから、御存じの方も多いでしょう)。
この吉岡医師が、突如として昨年末、私の前に現れたのです。
聞けば彼は昔大分大学の医学部生だった頃に、大変熱心な拳法部員だった。
そしてその頃「合気」について聞き及んだ。
しかし部員同士でいくらやってみても、合気など出来なかった事から「合気はインチキだ」と断定。
ところが10年程前に炭粉良三が書いた「合気解明」を読んだ。
そして自分と同じく合気を否定していた空手家・炭粉良三が実際に合気と遭遇し、その実在を認めざるを得なくなった…という物語に大変興味を引かれた、との事でした。
つまり、吉岡秀人医師は私の本の、熱心な読者だったのです!
私の患者である桂川雄太を通じて私とあいまみえた彼は、是非その合気の技を見せて欲しいと言います。
だから私も畑村洋数(今は「洋和」と改名)会長の道場を借りて、合気の技を嫌という程にお見せしたのです。
その事がキッカケで、私は吉岡医師から「愛に由来するというその合気の技を、是非ともミャンマー軍部に教えてやって欲しい。
それによって彼らを、おとなしくさせたいのだ」との依頼を受けるのです。
そして自費でミャンマーに行き
その軍隊に
空手と合気(愛魂)を伝えに行ってしまうという、
そんな偉業も成し得た凄い人だったんです!
そんな炭粉さんが亡くなったのが
2019年11月28日
そう、わたなべさんが武道館の予約をした日は炭粉さんの命日だったのです。
追伸:久しぶりに吉岡医師の動画など見て、吉岡先生や炭粉さんが保江先生と出会い疾風のごとく駆け抜けた10年と比べ、
なんとも情けない人生を歩んで来てしまいましたが、
この動画を見て、
まだまだマラソンの折り返しを過ぎた所
、逆転のドラマがあると妄想しています(笑)
人間って自分で自分のことで
悟れないように生きてるんで、
ですから
常に世の中に自分のこの外に当てて
その反射を僕らが見て、
こういうものだなと
僕らが悟るだけで
鏡に映った自分を見て
こういう顔なんだな口なんだなと悟るようなことを
日々やってるだけで
行動しなければ
自分の輪郭がわからないまま死んでいくんですね
一度の人生ですから失敗しようが成功しようがどっちでもいいって
言ったら語弊がありますけど
まあ僕がいつも言ってるのは
人生ってマラソンみたいなもんなんで
42.195km最高の走するために
今、
どうしたらいいかと決めればいいだけで
そこが別に
ペースダウンしてもいいじゃないですか
例えば水を取りそこなってもまた
続くからいいんですよ
でもこの人生生きていく上で
大切なことがあるとしたら
何かというと
必ず後半良くならないといけないってこと
なんですよ
後半は自分の最高の走りができないといけない
なぜかというと
前半いくら飛ばしてよくても
後半悪ければ
前半後悔することになるんですね
でも後半良ければ
前半どんな苦しいペースが乱れてとか
自分の人生もそうですね
悪くても
合理化できるんですよ
だから人生って
これから
100年時代と言われてますけど
後半に向かってよくしていかないといけないんです
まさに
後半こそ人生の勝負だと僕は思ってて
そこを必ずみんな良くしないといけないんです!
海外進出に向けて、こんなブログもやっています!
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